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管理人のプロフィール

当サイトにご訪問頂きましてありがとうございます。

管理人のよっひーです。ドラムが好きな30代男です。ここでは私がどんな人物なのかを自己紹介したいと思います。

めちゃくちゃ長いので端的にまとめると、

ボーカル目指すも才能ないと言われ諦めたが、ドラムにハマる。

ドラムで体が痛くなる。克服するため色々やって5年以上かかるも何とか克服。

アメリカ行く。アメリカでドラムの仕事取れるまで奮闘する。

アメリカでドラムショップやる。ドラム諦めて日本に帰った理由とドラム再開するまで。

が書いてあります。

ドラムで体の痛みに悩んでいる方やアメリカに興味ある方には参考になると思います。またプロを目指すドラマーのためのドラム上達のためのヒントもあると思うので、お時間あれば読んでやってください。

ドラムを初めたキッカケ

小さい頃から歌うのが好きで、バンドでギターボーカルをやって有名になるんだ!と夢見ていた。

スタジオが町に1つも無いような田舎だったので、中学高校は家で歌うくらいのことでバンド活動は一切やっていなかった。

大学入学と同時に上京し、そこで軽音楽部のサークルに入ることに。
そして、ついに念願のギターボーカルになったのだ!!

ところが、ここで大きな問題が起こる。

歌が下手だった

なんと、歌もギターもめちゃくちゃ下手だったのだ。そりゃもう、絶望的な程に。
自分ではそこそこ上手いと思っていたが、完全に勘違いだった。

とりあえず、ボイトレにも1年くらい通ったのだが、大して上達せず・・・

一緒にバンドを組んでいるドラムから、「お前は歌が下手過ぎて才能ないから辞めた方が良いかもな。」と言われた程だ。

正直、かなりヘコんだ。
プロになるぞ!と意気込んでいたのに、才能ないから辞めた方が良いとすら言われたのだ。

ボーカルを諦める

しかし、サークルには歌が上手い人がたくさんおり、自分には才能が無いのかもとは薄々気づいていた。

途方に暮れていると、バンド仲間のドラムが、「お前、ドラムやってみたら?前に遊びで叩いていた時に結構上手かったから才能あるかもよ!」と言ってきた。

ボーカルの才能が無い、ギターも無理っぽい!それならドラムやってみようかな!ということで私は20歳の時にドラムに出会った。

ドラムにめちゃくちゃハマる

さて、いざドラムをやってみるとめちゃくちゃ面白い!!

足と手のパターンがいくつもあり、そのパターンを少しずつ覚えて、出来ることが増えていくことがとても楽しい。

ドラムに興味を持ったのはBlink182というバンドのトラヴィス・バーカーに憧れたからだ。彼のパワフルかつテクニカルなドラミングに魅了された。

blink182やNew found grolyなどをよくコピーするようになった。そして、すぐにバンドをいくつも掛け持ちするようになった。

昔はドラマーが非常に少なかったので、初心者だろうが下手だろうがめちゃくちゃ重宝されたのだ。

バンドを掛け持ちしまくる

ドラムを始めて1年くらい経ったら、いつの間にかバンドを5個くらい掛け持ちするようになっていた。

ドラム歴1年なのでまだ全然下手くそなのだが、慢性的なドラマー不足のため、サポートドラマーとして金銭面での負担も無くバンドをやれたのは非常に幸運だった。

学生でお金もないので、毎日のように入っていたスタジオ代を捻出するのは無理だったからだ。

ドラムにどっぷりハマった学生時代だったが、ある異変が体に起こる。

ドラムで体が痛くなる

毎日のようにドラムを叩いて体を酷使してしまったためか、腰と腕が痛むようになった。

私の場合には「指と手首が痛む腱鞘炎」「肘周りが痛むテニス肘」、「腰痛」の3つの症状に悩まされた。

バンドの数を減らして、ドラムを叩く時間もかなり少なくしたのだが、全く体の痛みが治まらない。

当時はドラムの専門雑誌や教則本を参考にして独学で練習していたのだが、体の痛みはどんどん増していった。

一度、完全にドラムを辞めればよかったのだが、また0からのスタートになるのが怖くて、バンドを減らしたものの完全に辞めることは出来なかった。

毎週、接骨院に通って治療してはバンドの練習やライブに行く、というローテーションであった。

この頃は腕にテニス肘用のバンドを巻き、手にはサポーター、腰にはコルセットで体の負担を減らすようにしていた。

バンドメンバーからはターミネーターとかサイボーグドラマーとか冷やかされたものだ。

接骨院での治療

接骨院では始めのころは腕や腰のマッサージが中心だったが、痛みが全く引かないので、ハリ治療が中心になった。

ハリでも効果が無くなると、ハリとハリの間に電気を流す電気治療にまで発展。

正直、治療自体はかなり効果があるのだが、結局、ドラムをやってしまうと体が痛んでしまうので、イタチごっこになる。

次第にドラムの練習中にも腕や腰が痛みだして思うようにドラムを叩くことができなくなっていく。

完全に体が壊れる

ある時、朝起きると、体にピキッという音がはしった。

スラムダンクの桜木花道が山王戦の最後に腰を痛めて、その時の表現が「ピキッ」だったが、まさにそんな感じだ。

神経を通って痛みがはしるような何とも言えない感覚で、とにかくヤバイことだけは分かった。

しかし、体はヤバくともドラムのリハが入っているので、仕方なく接骨院で痛み止めの注射を打ってもらい、練習に行くことにした。

痛み止めを打てば、何とか練習を乗り切ることが出来た。しかし体はボロボロである。

首の筋に電気が走ったような衝撃があり、そして手首が痺れてスティックを落としてしまうこともあった。

それからも耐え難い痛みが出たら接骨院で痛み止めの注射を打ってもらい、騙し騙しドラムをやっていたが、限界を感じ始めてもいた。

ドクターストップがかかる

先生からは、「このままだと坐骨神経痛になって神経根ブロックが必要になる。それでも駄目なら手術も考えないと。」と言われた。

事実上のドクターストップである。

俺はプロでも無いのに一体、何でこんな苦しいことをやっているんだろうか。さすがに何かおかしいんじゃないかと感じるようになった。

ドラマーにとって腰痛や腱鞘炎は職業病と言われていたが、全く悩まされない人もいる訳だ。

この頃には自分のドラミングに問題があるのではないかと感じるようになった。

ドラムを習うことを決意

ドラムをすると体が痛くなっていることは間違いないので、自分のドラミングを根本から変えないと体の痛みは無くならないのでは?と考え、ドラムを誰かに習うことを決意。

当時は「人に習ったら個性が無くなるのではないか?」「人に教わるのは何かダサい。独学でめちゃくちゃ上手い方がカッコイイ!」といった思いがあり習うのを躊躇していた。

しかし、そんなことも言ってられないので、体が痛くならないドラミングの情報は何か無いかネットサーフィンをして探し始めた。

当時はYOUTUBEも無かったので、講師の演奏動画も一切無い。

そんな中、K`s Musicというドラムスクールのサイトに行き着く。

K`s Musicのサイトに夢中になる

正直、サイトは怪しかったが、体の痛みについて具体的に書いてあるサイトは当時他になかった。

サイトをむさぼるように読み漁って分かったことは、「正直良く分からない。」ということだった。何だか難しいことばかり書いてあって理解不能だった。

そのスクールに通えればいいのだが、入会金と1回のレッスン代で6万円くらいだったこともあり、躊躇した。

1回2時間くらいのレッスンで毎回3万円か。これは高すぎるから通うのは無理だわー。ということで、レッスンに通うのは一旦保留にした。

とりあえず、人に習う前にK`s Musicのサイトでしっかり学ぼうと思い、サイトを読み漁っては勉強してドラムの練習に励んだ。

モーラー奏法を知る

K`s Musicのサイトでモーラー奏法と人体力学というものを学べば、腱鞘炎や腰痛に悩まされることも無くなるかもしれない、ということが分かった。

そこで、とりあえず、モーラー奏法や人体力学の本を探すことにした。

しかし、どこの本屋に行っても、有力な情報が手に入らない。
モーラー奏法や人体力学をドラムに応用するヒントは市販されている本の中には全く無かった。

そこで、K`s Musicのサイトでもお勧めしていたアレクサンダー・テクニークの本を買って読むことにした。

その本自体は人体の構造を理解するには非常に有益だったのだが、ドラミングに応用する方法が書かれている訳ではないので、あいも変わらず体は痛いままだった。

K`s Musicのサイトを参考にモーラー奏法に取り組んでみるものの、全くの別の奏法になっていて体の痛みは取れずじまいであった。

別のスクールに通う

レッスン代の問題もありK`s Musicには通えないので、個人練習でよく使っていた音楽スタジオのドラムスクールに通ってみることにした。

1回3000円なら通えるし、体の痛みさえ取れればいい訳だからK`s Musicにこだわる必要もないだろう、という理由での選択。

結果として、最悪の選択となる。

体が余計痛くなる

そのスクールの先生の教えは、「打面に対してまっすぐスティックを振り下ろすこと」だった。

これが最も効率よく打面にパワーを伝える方法だ!ということらしい。一応、K`s Musicで回転主体の動きというものがあることは分かっていたので「え?大丈夫かな?」と思ったのが本音だ。

講師に言われるがまま私も試しにやってみるのだが、真っ直ぐ振り下ろしたら当然めちゃめちゃ手首と腕が痛くなる。

痛いということを先生に伝えるのだが、「それは君が力んでいるからです。リラックスして真っ直ぐ振り下ろしなさい!」とのこと。

腰が痛いことを相談しても「それは君が力んでいるからです。リラックスしてドラムを叩きましょう。」とのことだ。

リラックスって何?

体の痛みは当然、一切解消されなかったので、数回通っただけで断念した。他にもいくつか体験レッスンを受けたが、どこも同じようなものだった。

具体的に私の体がなぜ痛いのかの原因について教えてくれるところは無かった。力みすぎているからとにかくリラックスしろの一点張りである。

中には「一旦体をぶっ壊してしまえばいい。そうしたら力が抜けるから!」という謎理論まで飛び出す始末である。当時の私はドラム初心者だったが、さすがにそれを信じるほど馬鹿ではない。

当時はモーラー奏法や体の使い方などのノウハウはほとんど出回っておらず、一般的なスクールやレッスンに通っても体の使い方を習うことは困難だった。

ドラムの専門雑誌や教則本もめちゃくちゃなことが書いてあった。それを真に受けた自分が悪いのだが、この暗黒の2年間さえ無ければと悔やんでも悔やみきれない。

この時に根付いてしまった筋肉を使った直線的な動きによるドラミングが私の今後のドラミング上達を大きく妨げてしまったことは間違いなかった。

K`s Musicに入校を決意

どうしても体の痛みを取りたい!でも、普通のスクールに通っても駄目だった!

八方塞がりの私はついにK`s Musicに行ってみようかな、と思い至る。

それでも1回のレッスンに3万円はやっぱり高い!
でも、とりあえず1回入校だけしてみよう。そして、自分の体の痛みや悩みをぶつけよう。

今までのスクールのように曖昧な答えしか返ってこなければ、通わなければいいだけだ。
そう思い、スクールに電話をして入校の手続きをした。

電話での無料相談もやっているのでとりあえず相談すれば良かったのだが、電話での相談なんかで自分の体の問題が解決する訳が無いと思っていたのか、すぐに入校を願い出た。

ついに入校日に

さて、入校当日。正直、かなり緊張してあまり眠れなかった。

もしかしたら体の痛みから開放されて自由にドラムを叩けるようになるかもしれない、そのような期待もあったが不安もあった。

ここで駄目ならもう自分の体の痛みを治すのは無理かもしれないと思ったからだ。いざスクールに着いてみると。あれ?普通の住宅じゃん。スクールじゃないの?

住宅街にたたずむ普通の家の一室にK`s Musicはあった。
(スクール移転前の話である。)

気さくな講師陣にホッ

中には講師の方がすでにおり、「こんにちはー。ここの場所、分かりにくかったでしょう?」といった世間話をしながら、ドラミングに関する悩みなどをカウンセリング用紙に書いていった。

講師の方々は気さくな感じで、和やかな雰囲気だったのでホッとしたのを覚えている。当時のスクールは控室とスタジオ1室だけであり非常にこじんまりとしていた。

私は入校前までは一般的なドラムスクールを想像していたので、非常にビックリしたのを覚えている。

体の使い方のレクチャー開始

始めにバディ・リッチやヴィニー・カリウタなどの一流ドラマーの実演奏時の体の使い方や呼吸法などのレクチャーがあった。

色々、動画を止めながら説明してくれるが、正直よく分からない。それと平行して、体の使い方の簡単なレクチャーなどもあった。

そうこうしている内に主宰(スクール内では校長と呼ばれてた。)が裏から出て来た。

「もう終わったー?じゃあ、やっちゃいましょう!」」(人体力学の説明が終わったかの確認だと思われる。)

ここからスタジオに入っての校長の実演奏となる。

実演奏の凄さにビビる

校長の実演奏は圧巻の一言だった。

それまでサークルの先輩や対バンのドラマーくらいしか間近で見たことの無い自分にとっては衝撃的な程の音圧とうねりのあるドラミングだ。

この後、アメリカに渡ることでデニス・チェンバース、デイブ・ウェックル、スティーブ・ガッド、クリス・コールマンなど、様々な一流ドラマーのプレイを間近で見ることが出来たが、この日の校長のドラミングの衝撃を超える体験をしたことは無い。

それくらい大きなインパクトを受けた。その後、ご飯を食べて講師の方からレッスンを受けた。

全然出来ていないことを知る

それまではK`s Musicのサイトでモーラー奏法を勉強していたので、入校前でもそこそこモーラー奏法が出来ていると思っていた。

これは全くの勘違いであり、全く何も出来ていなかった。そもそも、ちゃんと出来ていたらそこまで体が痛むわけが無いので、出来てないのは当たり前の話である。

いきなり色々なことを教わって頭が混乱しながらも、モーラー奏法の基礎から教わった。

入校日を終えて

おおよそ10時間にも及ぶ初回レッスンは無事に終了した。
その日に体験した音が凄すぎて、暫くは放心状態だった。

1回のレッスン2時間で3万円は決して安くないが、初回入校時は2回分のレッスンどころではない濃密さなので6万円は逆に安いと思う。

今でこそYOUTUBEで動画をアップしているので講師陣の人となりが分かるが当時はYOUTUBEが無かった。

スクールの情報はWEBサイトの文字がほとんどだったし、もうとにかく怪しさ満載である。

サイトにはほんの少しだけ動画があったが、何か細工しているかもしれないと思っていた。そのため、理論は凄いけど実演奏は大したこと無いかもしれない、その場合にはすぐに辞めよう。そう思っていた。

実際に初回入校時の実演で生の演奏を体感した時でさえ、ドラムに細工してあるかもしれないと疑っていた。しかし、自分がそのドラムを叩いてもショボショボの音しか出ない。

スティックも私が使っていたスティックで実演もしてくれたので種も仕掛けも無かった。絶対騙されたくなかったので色々疑ったが、全て覆されてしまった。

そして、いつの間にかそんな悩みや不安は一気に吹き飛んでしまった。とにかく圧倒的なドラミングに強烈な憧れを抱いた。

体の痛みについても親身に相談に乗ってくれて、このスクールで頑張れば体が痛いのも治るだろう!と確信を持った。

初日のレッスンが終わったのは夜の12時近かったと思う。親身に体の悩みについて向き合ってくれたのはありがたかった。

とりあえず、体の痛みが治ることを信じて暫くスクールに通う決意をする。

アメリカに短期留学をする

スクールの入校のあと、すぐに短期留学することになる。私は、元々アメリカに強い憧れがあった。

好んで聴いていた音楽は全て洋楽だったのもあり、いずれはアメリカに行きたいと思っていたのだ。

しかし、いきなりアメリカに留学して、実は音楽のレベルが大したことなかった、治安が悪すぎて外国人が住むのは無理、なんてことになったら本末転倒である。

そのため、アメリカがどんな所なのかを知るために1ヶ月間の短期留学をしようと考えた訳である。

車もないので、地下鉄で移動が出来るニューヨークに行くことにした。

いつかアメリカに行こうと決意

ニューヨークは思ったよりも住みやすく、生活には全く問題がなかった。当時は夏だったので、気候が良かったのも幸いした。

冬に行っていたらまた感想は変わったかもしれない。英語はサッパリだったが、掲示板を使うなどして現地の人とバンドも組めて運良くライブまで出来た。

非常に音楽のレベルは高く、いずれアメリカで音楽をやりたいと思うようになった。

しかし、そのためには自由にドラムを叩けるようになることが不可欠だ。
まずは日本で体が痛くならずにドラムを叩けるようになろうと改めて決意した。

この時、大学4年生だった。就職活動はしなかったが、体の痛みのこともあり今後ドラムで頑張れるのかという不安は多少あった。

体の痛みと向き合う日々

K`s Musicに通うことで自分の体がなぜ痛んでいるのか、ということ自体は分かった。

体が痛む根本的な理由は

スティックワークもフットワークも急加速、急停止している

末端が激しく動いていて、その波が体側に来ている

フットワークに大腿四頭筋などの表面の筋肉を使っている

これらが主な理由だ。

スティックワークもフットワークも急加速している

当時の私はスティックで打面を叩くことしか頭になかった。

どのようにスティックを動かすのか?つまり、ゆっくり動かす、回すように動かすといったイメージは一切無い。

特に早いテンポのロックをやる時は回転運動ではなく直線的な動きをしていて、さらに急加速と急停止を繰り返していたことから、体に大きな負担をかけていた。

末端が激しく動いていて、その波が体側に来ている

激しい音楽をやる時には、どうしても体を大きく動かしたくなる。

一番、目立つのがスティックを大げさに動かすことなので、私の場合には腕と手、そしてスティックをかなり激しく振っていた。

末端である手を主体にして動かしていたので、その波、反動が体側に来ており、これが腰痛の原因にもなっていた。

フットワークに大腿四頭筋などの表面の筋肉を使っている

これも大きな腰痛の要因だ。

簡単に言うと、もも上げ運動をしながらドラムをしているようなものである。

本来は腸腰筋と足底筋の操作によってビーターを返せば体に負担が無いのだが、ガッツリ太ももをもち上げフットワークをしていた。

とくに足のダブルを叩く時に力んでしまい、大腿四頭筋にメチャクチャ力が入ってしまっていた。

これらの注意点を意識しながら、ドラムの練習に励んだ。

体の痛みが良くならず焦る

スクールに電話をしまくる迷惑行為

自分の問題点も分かり、意識しながらドラムの練習に励むのだが、全然体の痛みは良くならない。

正直、かなり焦っていた。K`s Musicに相談の電話をしまくっていたのを覚えている。

ドラムか就職かの狭間

正直、体の痛みが良くならないならドラムを諦めようと考えていた。今なら就職活動をすれば、ギリギリ新卒での就職も可能ではある。

なので、プロドラマーを目指して頑張るか、就職するかで揺れていた。その鍵を握っていたのが、体の痛みだ。

体が痛まなければ自分の限界までドラムを頑張ることが出来る。それでダメならスッキリ諦めも付くというものだ。

しかし、もしも良いところまで来ていたのに、体の痛みで諦めるとなったら悔やんでも悔やみきれない。

そのため、体の痛みが良くなる目処が立たなければ、ドラムは趣味にして就職しようと考えていた。

仮に新卒での就職は無理でも早く就職した方が良いのは間違いないので、体が治るのかダメなのか早く結論を出したかった。とにかく焦っていた。

電話をしまくる

体が痛くなる度にK`s Musicに電話をしてアドバイスを求めた。正直、相談するにあたって何も考えていなかった。

ただ、自分の体が痛くてパニックになっているだけだ。正直、メンヘラである。

自分でしっかり考えて、こういう練習をしていたらこんな痛みが出る、といった具体的な相談では無い。ただ痛いとわめいていたと思う。

それでも講師陣は嫌な顔ひとつせず(電話なので顔は見えないが。)、親身に相談にのってくれた。

時にはレッスン日では無いのに「今、スタジオ空いてるから来ていいよ。」と言ってもらい、ドラミングのチェックをしてもらった。

当時はスタジオが1個しか無かったので、スタジオの空き時間は電話番や講師の休憩時間だった。その時間を割いてもらっていたのだ。

迷惑千万な行為なことは間違いなく、本当にありがたかったし、申し訳無くも思うが当時の私は必死だった。

講師陣の好意に甘えて、体の痛みが無くなることだけを夢見て必死に体と向き合った。

色々な身体操作のレッスンに通う

体の痛みを無くすために、色々な身体操作のレッスンにも行った。

とにかく就職かドラムかの究極の選択だったので、今ある貯金を全て叩く気でいた。

高岡英夫氏の運動科学総合研究所の専門講座を受けたり。
小野ひとみ氏にアレクサンダー・テクニークを習ったり。

古武術の動きの一つであるナンバ歩きで有名だった矢野龍彦氏の個人指導を受けたり。

これまた古武術研究科として有名だった甲野善紀氏の道場に行ってみたり。

とにかく当時、身体操作で著名だった方たちのレッスンを片っ端から受けた。

それでも、全く駄目だった。その指導を受けた時は良いのだが、ドラムをやると屈筋に思いっきり力を入れて叩いてしまう。

もう、この体の痛みを取ることは出来ないのではないか。屈筋を使わないとドラムを叩けない呪いでもあるのか?そう思っていた。

誤解のないように言っておくと、これらの身体操作のノウハウが駄目だった訳では決して無い。
自分がそれらのノウハウをしっかりと消化して糧に出来なかっただけである。

ついに根本原因が判明

K`s Musicでもここまで体の悪い人間は珍しいらしく、かなりの問題児であったことは間違いない。

校長が「こんなに体が痛いままなのは何か根本的な原因があるかもしれない。」と言うので、普段どんな練習をしているのかをビデオに撮って見せることになった。

確か、普段やっている音楽の曲に合わせてドラムをしている動画を見せたと思う。

そこで分かったことは、体が痛んでいる原因は自分自身がそれを望んでいるからだろう!ということだった。

無意識下で体を痛めることを求めている

私がドラムを始めた時に好んでいたのはGreen dayやBlink182などのメロディックでテンポの早いロックだった。

特にBlink182のドラマーであるトラヴィス・バーカーに憧れており、彼がドラムを始めるキッカケになったと言っても良い。彼の激しいドラミングが好きで良く真似をしていた。

これに合わさってきたのが、ドラム専門雑誌や教則本にあった筋トレのようなトンデモないドラム練習法だ。

この2つが融合することで自分の体を痛めるような直線的な屈筋を主体に使ったドラムを正しいと思い、さらに破壊的な表現を好んでいたので激しく叩いて体を痛めながらプレイすることを覚えてしまった。

その上、通常のロックやポップスをプレイする時も、激しくて体を痛めるようなドラムを理想として叩いてしまっているので直線的かつ急加速な動きの癖が直らない、ということが分かった。

激しいプレイがカッコイイと思っている人は要注意だ。私と同じようなイメージでドラムを叩いているかもしれない。体が少しでも痛んだら自分の奏法をぜひ見直して欲しい。

この時のアドバイスは、体の痛みを治すにはもっとシンプルでゆったりした曲をモノにして自分の理想のドラムイメージを上書きするしか無いかもしれない、というものだった。

名演を聴きまくる

自分の好きだったパンクロックやメロコア、激し目のロックは出来るだけ聴かないようにして、TOTOやスティーリー・ダン、エリック・クラプトンなどを聴くようにした。

そして、ドラムの練習時もそれらの名演と呼ばれる曲に合わせて叩くようにした。正直、苦痛だった。全然曲が良くないやんけ。何が名演じゃ!とそう思っていた。

当時はドラムしか聴いていなかったので、シンプルなドラミングが多い名演は自分には退屈だったのだ。は、はやい曲が叩きたい!という気持ちを抑えるのが大変だった。

苦痛を感じながらも自分の体の痛みが治るなら!と思い頑張った。まだまだ体の痛みは完全には治らなかったが、K`s Musicでの指導のおかげもあり、一時期よりもかなり楽にはなってきていた。

夜勤の仕事につく

大学も卒業が近づき、就職活動もしていなかったので、バイトで夜勤の仕事に就いた。

仮眠ありで21時から朝9時までの仕事だった。夜勤手当があり給与も高いのが良かった。

この頃にはK`s Musicのレッスンは月2回通っていたので6万円のレッスン費を捻出しなければいけなかった。給与が良いことは重要だった。

そして、昼間にバンド活動が出来るのが決め手だった。

当時はバンドでプロになるため正社員にはならず、バイトで生計を立てる人は結構いた。私がやっていた複数のバンドでも正社員の者はごくわずかだった。

しかし、週に5日~6日バイトに明け暮れて、休みの日にだけバンド活動をするという人が多かった。

「おいおい、その活動では趣味の範囲ではないか?」と思っていた。そうなるのは嫌だったので、昼間は掛け持ちでバンド活動をして夜働こうと思ったわけだ。

この夜勤のおかげで月2回のレッスン、月2~3回のライブ、週4日~5日のリハというスケジュールでも何とかこなせた。(毎月こんなにタイトなスケジュールだった訳ではないが。)

体の痛みは完全に良くなった訳ではないが、一時期よりは良くなっており何とかバンドを増やすことも出来るようになってきていたのだ。

このスケジュールをこなせたのは夜勤の仕事には仮眠の時間があったからだ。この仮眠3時間が無かったら絶対ムリだった。それでも眠くてリハ中にウトウトすることも多く、休憩時間は寝ていることも多かった。

オーディオ環境に少しこだわる

普段聴くオーディオの質が良ければ、それだけ音への感性が変わるよ、ということをK`s Musicでも言われていた。

そこで、オーディオの環境を変えようと思った。それまでは一般的なミニコンポで音楽を聴いていた。

正直、何を買っていいか分からなかったので予算10万円以内くらいで適当にオーディオシステムを整えた。

色々買い揃える

オーディオを整えるのに最低限必要なものは以下だ。

・アンプ
・スピーカー
・再生機器
・スピーカーケーブル
・インシュレーター

BOSEの301AVのペアスピーカーを中古で購入したと思う。アンプはONKYOか何かの中古品、スピーカーケーブルにベルデン(型番は忘れた)を買った。

インシュレーターなどの細々したものも含めて合計して6万円~7万円程度だったと記憶している。

音の違いに驚く

買い揃えたオーディオはそれまでのミニコンポとは、音の質感が全く違うことに驚いた。

ギターやベース、ドラムなどがより繊細にしっかり分離して聴こえるようになった。

ミニコンポも確か新品ではあるが5万円くらいはしたのだ。ほとんど同じくらいの価格なのに出る音には雲泥の差があった。

適当に買い揃えたオーディオシステムですらこれである。もっとこだわって音響システムを整えれば、よりミュージシャンとしての耳が鍛えられたのは間違いない。

しかし、当時の私には適当に買ったオーディオシステムで十分だったらしい。より良いものを追求しようとはしなかった。

いずれにしても、少しまともなオーディオ環境になり、少しずつ耳が養われていった。

今だとスマホにイヤフォンで音楽を聴く人が多いかもしれないが少し注意した方が良いかもしれない。

イヤフォンでの限界

最近の高性能イヤフォンは音漏れもせず音も非常に素晴らしい。

しかし、どう頑張っても耳でしか音を聴くことが出来ない。私は耳だけでなく、全身で音を感じることが重要だと考えている。

もちろん、環境によってイヤフォンでしか音を聴けないことは多々あるだろう。しかし、可能な限り、オーディオスピーカーから大きな音を出して音楽を聴くべきだ。

家のオーディオ鑑賞で常にライブハウスにいるような体験が出来れば、それだけミュージシャンとしての耳が育つからだ。

YOUTUBEで音楽を聴くことも多いと思うので再生機器はとりあえずスマホやPCでもいいので、アンプやスピーカーなどを揃えてオーディオ環境を整えることをお勧めする。

デスクトップパソコンなら必ずサウンドカードを別途入れた方が良い。1万円くらいのものでもマザーボードの内蔵サウンドカードよりかなり音質は良くなる。

ドラムの本質を知る

体の痛みのこともあったが、それ以上にドラム自体にも行き詰まっていた。

一通りどんな曲でも叩けるようにはなったけれど、上手い人と自分の違いは何なのだろう。これからどうしていけば良いのだろうか。と悩んでいたのだ。

この頃、真面目にドラムを辞めようかと考えていた。体もまだ痛いし、全然上手くならないし、何が上手いかも分からない。諦めた方が良いのでは?と。

この時の役に立ったのがK`s Musicの音楽表現レッスンだった。

音楽表現レッスンで目から鱗

K`s Musicでは始めは人体力学を使ったモーラー奏法の基礎からレッスンが始まる。なので、基本的には曲に合わせての練習などは無かった。

暫くしても体の痛みがなかなか良くならないこともあり、それまで月1回だったレッスンを月2回に変えてもらった。この際に月1回は音楽表現のレッスン、もう1回は人体力学を使った奏法のレッスンにしてもらった。

この音楽表現のレッスンが多いに役立った。

K`s Musicの動画を見ると、どうしても音圧や高速連打に目を奪われがちになるが、それは余興というかスクールへの客寄せ用のギャグでしかない。

本質的な部分は音楽表現にあると思う。それまでは基本的なモーラー奏法や体の動かし方などのレッスンだったが、校長の音楽表現レッスンでは実際に様々な曲に合わせてのレッスンとなる。

当然、模範演奏があるのだが、何よりも凄いのは楽曲にドラムを合わせた時の親和性だ。

校長の最も凄いところは楽曲を一切邪魔せず、曲に馴染んだ上で人を本能的に感動させるドラミングにあると思う。

極上のダシ=高い音楽表現

本能的に感動することを料理で言えば、ダシや旨味調味料のようなものだろう。

私の義実家は小料理屋なのだが、ダシにこだわっている。キロ1万円以上の鰹節と最高級の昆布を使っているそうだ。

ダシが余るとうちにも分けてくれるのだが、このダシを入れるだけで何を作っても美味くなる。

だし巻きも煮物も、肉じゃがも。全てが店レベルの味になる。
誰でも料理上手になれる訳だ。そして、誰が食べても美味いと唸る料理になる。

まさにチート級の調味料だ。これと同じ現象がドラムで起こっていたのだ。

シンプルなドラムでも、曲と一緒になると誰が聴いても「上手い!すごい!」と分かる。
私は、その時に全身から鳥肌が立った。そして「これだ!!!」と思った。

シンプルなドラミングの中に凄みを出せれば、どんなジャンルでもプロとして通用するドラマーになれると確信した。

もちろん、それを自分がモノに出来るかは全く別の話ではあるが、少なくともプロへの道筋は見えたような気がしたのだ。

そこからドラムやその他の楽器の音色に対する向き合い方に変化が出た。

曲全体でどのような表現をしようとしているのか、それに対してドラムがどのようなアプローチをしているのかを感じるように努力するようにした。

この頃には体の痛みはあるものの、ドラムで大きく悪化する程では無くなっていて、就職とドラムで迷うことは無くなりドラム一本で頑張ろうと考えるようになった。

ローディーになる

この頃にプロドラマーのローディー、いわゆる坊やもやっていた。

プロの実演奏を間近で聴けるのは良い勉強になるから、とK`s Musicで勧められた。

たまたまドラムマガジンでローディーの募集をしていて講師がそれを教えてくれたのだ。

その募集に応募してローディーになり、木村万作さんという方に師事した。
怖い世界なのかなと思っていたが、非常に優しい方だった。

ドラムを転がす日々

ローディーの仕事は主にドラムのセッティングなのだが、私は腕を壊している上にドジなので、ドラムをよく転がしてしまっていた。

ドラムでは体がそこまで痛まなくなっても、重いものを持てば別である。肘周りから手首が超痛いのだ。そして、漫画にあるような典型的なゴロゴロガッシャーンである。

その度に木村さんは「おいおい、頼むぜー。」と笑って許してくれた。
これは師事する方が違えば、裏に連れていかれての可愛がりがあってもおかしくないレベルの失態だと後に知った。

私が腱鞘炎と腰痛持ちなことは知っていたので大目に見てくれたのかもしれない。でもハッキリ言って、私が逆の立場ならキレていると思う。

K`s Musicを勧める暴挙

当時のアホな私は木村さんにK`s Musicの凄さを力説し、ぜひ入校しませんか?的なことを言ったように思う。

ご本人は「もう歳だし人に習うのはシンドイから辞めとくわー。」と笑っていた。
普通ならマジギレされてもおかしくないくらい失礼なことを言っていたなと思う。まだ若かったので許して頂けたのだろう。

また、共演者の方にも「木村さんに教われば良いのに月6万円(月2回通っていた)も払って他のスクールに通うのはどうなの?」と打ち上げで言われたこともあった。

この時も「僕は6万円払う価値があると思って通っています。」と訳分からんことを自信満々で言っていた気がする。みんな、苦笑していた。正直、空気が読めない痛いやつだったのは間違いない。

現場に連れて行ってもらう

ご自身のバンドのライブだけでなく、小田さんやその他アーティストのライブやレコーディング現場も連れて行ってくれたので、非常に勉強になった。

大物アーティストのサポートの場合、ローディー会社がドラムのセッティングからライブサポートまでしてくれるので、私がやる仕事は一切ない。

そのため連れて行く必要は全く無いのだが、勉強になるから来ていいよ、ということで連れて行って頂けたのだ。

スタッフしか入れないバックステージに入れてくれて、間近でドラミングを見させて頂けたので、とてもありがたかった。

フラグをバリバリに折る

ローディーになったからといってドラムの仕事を紹介してもらえる訳ではない。

ただ、リハの合間に遊びで周りのミュージシャンが一緒に音合わせをしてくれたりするので実力があればチャンスもあるだろう。

当時、私はめちゃくちゃ下手だったのでそんな話は一切なかった。しかし、今思えば小さなチャンスは色々と転がっていた気がする。

プロのミュージシャン達も息抜きで色々なコピバンや遊びのバンドをやっていたりする。

この場合、遊びなのでギャラが出ない。そこで若い発展途上のミュージシャンを誘ってバンドをやったりする訳だ。

あるギタリストの方がディープ・パープルか何かのコピバンのドラムを探しているんだ、という話になった。

「趣味だからギャラは出ないんだけどさ。最低限の礼儀があって、全然下手でもいいから時間だけ守ってくれればいいんだけど。そんな若いドラマーどっかにいないかな?」と話してくれたのだ。

今思えば、完全に自分は当てはまる。ドラムは下手だが時間くらいは守る。当時は20代前半なので若いだろう。礼儀は正直かなり微妙なとこだが、最低限でOKとなればイケるはずだ。

今思えば、多分遠回しに誘ってくれていたのだろう。当時は全く気づかず、「いやー若いドラマーならどこにでもいますよー」的なことを言っていた。

まさか一流プロが自分を誘ってくれているとは思わない。仮に自分の勘違いだとしても、ダメ元で「是非自分にやらせて下さい!」と言っていれば、また自分の運命も変わっていたかもしれない。

ローディーをすれば必ず仕事に結びつく訳ではないが、チャンスは普通にバンドをやるよりも多いだろう。

ただ、今はYOUTUBEやSNSもあるので、ローディーだけが仕事をつかむ方法では無くなっている。

1年くらいで辞める

当時は夜勤の仕事をしていてローディーの仕事は徹夜になるため、1年くらいで辞めてしまった。

バンドのリハの場合、一度、家に帰って3時間とか寝れるので全く問題ないのだが、ローディーの仕事は夜勤の仕事からの直行になる。

そして、そのまま再度、夜勤の仕事場に向かうというスケジュールだった。夜勤は3時間の仮眠があるとは言っても、ここには食事休憩も含まれている。

仕事の合間で気を張っていることもあり寝れるのは2時間とちょっとくらいだ。睡眠時間がこれだけでは若い頃でもさすがに厳しい。

9時以降までローディーの仕事が入っている場合には夜勤の仕事は休みを取っていた。とは言っても夜勤空けでローディーの仕事に直行しているので終わる頃には眠気はMAXである。

ローディーの仕事は月に数回程度だったが、ライブやリハ、レッスンの予定も詰まっている。このスケジュールは若い頃の自分にもきつかったらしく、ずっと続けるのは無理だった。

いっつも眠そうだったので木村さんや周りのミュージシャンの方にはずいぶん心配された。というか、ライブ本番中やレコーディング中にウトウトすることも多かった。

辞める時には「お前、今までのローディーで最短だぞ。」と木村さんには笑われた。「またね!」とだけ言って見送ってくれた。

ローディーの体験によって礼儀作法や周りへの気配りなど、一般的に必要とされることを学べた。そして、一流のミュージシャンの音を間近で聴けたことで、ドラムだけでなく楽曲全体を聴く耳が少しずつ養われていった。

体の痛みも次第に減る

ドラムと楽曲への取り組み方を変えることで、退屈に思っていた名演も実に奥の深いものだ、ということが分かってきた。

ギターやベース、キーボードなど周りの音が聴けるようになってきたからだ。

そして、退屈だと思っていたシンプルなエイトビートでも表現の仕方は様々であり、自分は全く何も出来ていなかったことを知った。

名演を繰り返し聴く

それが分かるようになってきたら、【名演を聴く⇒曲に合わせてドラム⇒録音した音のチェック⇒曲を聴く⇒曲に合わせてドラム⇒録音】をひたすら繰り返した。

曲を聴く度にどんどん曲の聴こえ方が変わってきて、また、それに呼応するようにドラミングも変わっていった。

正直、ミュージシャンの耳を育てるには楽器を演奏して、曲を聴いてを繰り返すしか無いと思っている。もちろん、毎日バンドで演奏出来るならその方が良い。

また、ドラムだけでなく他の楽器もやれば、よりミュージシャンとしての耳は育ったであろう。

ドラムだけを練習したり、漠然と音楽を聴いているだけではミュージシャンとしての耳は育たない。字幕で洋画を見ても、一切英語が出来るようにならないのと一緒だと思う。

アメリカへ行く決意をする

この頃から体の痛みはかなり無くなってきていた。2時間~3時間程度の練習ならば体が痛むこともなくなってきていたのだ。

ドラミング自体はまだまだ初心者レベルであるものの、自由にドラムができるという最大の目的を達成出来る手応えを掴み、アメリカに行くことを決意した。

K`s Musicに入校して3年以上が経っていた。体の痛みに悩み始めてから約5年経っている。ようやく体の痛みを克服するところまできた。

体の痛みを克服出来たのは間違いなくK`s Musicのおかげなので、今でも大変感謝している。

ドラムが上手くなっていない理由

K`s Musicに入って体の痛みは無くなったが、ドラム自体はあまり上達しなかった。これには理由がある。

スクールのノウハウは本物

まずスクールのノウハウは間違いなくホンモノだった。

K`s Musicドラム人間科学のドラム理論は私が通っていた時にはすでに完成されていた。おそらく、スクール発足時からドラミングのノウハウは完全に完成されていたのだと思う。

もちろん、人にいかに効率よく伝えるかという点では日々進化しているものと思うが、根本のノウハウは本物だし昔から変わっていない。それは2003年の校長のドラムソロ動画からも伺える。

普通のドラマーが真面目に通えば自分のドラミングが大きく向上する可能性は高いと思う。

言われたことを消化出来なかった

それなのに、なぜ私はドラムが上手くならなかったのか?それは全然言われた通りにやっていなかったからだ。

当時は体の痛みを治すことに必死で人体力学や音楽表現などには全く気が回ってなかったのだ。

もちろん自分の中では色々と気にして練習しているつもりなのだが、後から考えたら何もやってないに等しいような状態だ。

アメリカに行くと決意した時も自分ではそこそこ上手くなったと当時は思っていた。しかし、後から考えたらマジで初心者レベルだったという訳だ。

在籍するだけで満足してしまった

正直、K`s Musicというスクールで習っているだけでが光栄欲が満たされて、満足していた部分があったのだと思う。

こんなに上手い人達に習っているんだ!きっと俺はすごい!みたいな感じだったと思う。

ちなみに、以前自分がやっているバンドで音のことで揉めた際にも「俺はすごい人に習ってるんだ!そしてその人は音に関してこう言っていたから、こっちが正しい!」みたいなことを言ったように思う。(さすがにここまで極端にアホな発言はしていないがこれに近いことを言った。)

そしてバンド仲間には「いや、すごいのはその人であってお前は全然下手だよ。だからお前が言っても説得力がない!」と言われた。至極、もっともである。

すごいのはK`s Musicであって、私ではなかった。在籍しているだけでは何も意味がない。何を掴めるかが大事だった。

レッスンに真剣に取り組むべき

高いお金を払っているし、通っていれば何と無く上手くなるだろう、上手くしてくれるだろうという甘えがあった。

もっと真剣に1回1回のレッスンに望むべきだったし、言われたことを真面目に練習するべきだった。

当時はスタジオが1つしか無かったので、必ず電話番で講師が一人控室にいた。レッスン中の講師が電話対応によってレッスンが中断されないようにするための配慮だ。

私はこの時に控室にいる講師によくドラムに関する質問をしまくっていた。ホントに迷惑なほどに。次のレッスンに入った生徒さんのレッスンが終わるまでいることもよくあった。

本当に迷惑千万である。講師陣はみんな優しくて嫌な顔はしていなかったが、マジで迷惑だったと思う。果てには、講師の食事休憩にも付いていき一緒にご飯を食べる始末である。

まあ、これは相手が誘ってくれたから行った訳だが普通なら気を使って断るだろう。ガストでハンバーク食ってる場合じゃないぞ。断るんだ、昔の俺。

そして、こんな迷惑行為をしている場合では無かった。

本来ならばレッスンが終わった後にはスタジオの個人練習を予約しておき、復習をかねて練習するべきだったのだ。

K`s Musicのレッスンは繊細な身体操作や音色のイメージが不可欠であり感覚や感性が命だ。この感覚を忘れないうちにしっかり体に覚え込ませなければいけなかった。

控室で講師の邪魔をして色々と新しい質問をしている場合ではなかった。こんな状態で音楽の本場に行くのだから、当然、泣きを見ることになる。

アメリカ留学へ

日本で大学を卒業していた私がアメリカに行くには学生として留学するのが最も簡単だった。

学生ビザを取得して、ホームステイ先も決まり、アメリカはロサンゼルスに留学することに決まった。

短期留学したのはニューヨークだったが、車を購入予定のためアメリカのどこでも不自由ない生活が可能だったので選択肢は色々ある。

そして、ロサンゼルスに決めた。Blink182やNo Doubtなど、当時好きだったバンドの出身の多くはロサンゼルスだったのが、留学に選んだ大きな理由だ。

K`s Musicのレッスンは続けたかったが、アメリカから通う訳にはいかないので退校した。退校時には講師の方々みんなから大変な激励を頂いてとても感動したのを覚えている。

とにもかくにもバンド活動も仕事もスクールも全て辞めて、アメリカへと向かった。

ロサンゼルスでドラム漬け

ついに念願のロサンゼルスに到着した。気候が非常に良くて、雰囲気も最高で良い街だった。

最初はスタジオも見つからずどうやって練習すれば良いかも分からなかった。現地の生活に慣れるだけで精一杯だった。

家を引っ越す

始めの住まいとなるホームステイ先はグレンデールにあったが、家で動物をたくさん飼っていて、アレルギーが出てしまい早急に出ることになった。

次の住まいはハリウッドになった。歳が近い筋肉バカのアメリカ人がルームメイトになった。彼はよくゆで卵の白身だけ食べていたのは覚えている。

とても気のいいヤツで映画を一緒に観に行ったり、トレーニングジムに行ったりして、よく一緒に遊んだ。

生活の基盤を作る

異国の地に来ているので、始めにやらなければいけないことは色々ある。

銀行口座の開設やスーパーなど買い物する場所の把握、車の確保などである。

始めは車がないので地下鉄を利用したが、地下鉄はゲートのようなものが無いのでうっかり切符を買わなくてもそのまま電車に乗れてしまう。

ただし、降りた駅で抜き打ちのキセルチェックがあり、切符を持っていないと大きな罰金を払うことになる。

ロサンゼルスはバスと地下鉄だけでは非常に不便な街なので車の購入は必須であった。

運転免許を取得する

アメリカでは州によって国際免許証の扱いが違う。

私は日本の運転免許証は持っていたが、その有効期限はカリフォルニアでは非常に短かったので、早く現地の運転免許証を取らなければいけなかった。

車を買う

まず始めに車を買った。ドラムを運搬することを考慮し、ミニバンを買った。中古で40万円くらいだったと思う。

これは正直、デカすぎた。日本ではペーパードライバーだったので、いきなりデカイ車はハードルが高かった。

買った初日に事故りそうになった。ドラムを運ぶにしても、もう少し小さめのハッチバックタイプで良かったと思っている。

荷物がたくさん載るので、引っ越しによく駆り出された。

仮免許を取る

カリフォルニアは運転免許証が簡単に取れる。アメリカでは数十ドルで免許が取れるので非常にありがたかった。

まず筆記試験だけで仮免許証が取れる。この筆記試験も日本とは比べ物にならないくらい簡単だ。

1日勉強すれば余裕で取れた。そのため、誰でもすぐに仮免許証までは取れる。

仮免許証があれば、隣に免許を持っている人が乗っていれば車を運転することが可能だ。

そのため教習所のようなものは基本的に無くて、親兄弟や仲の良い友だちが運転を教えるケースが多い。

私は日本で免許証を取っていたのですぐにカンを取り戻し、練習はほとんど必要なかった。

楽勝で免許取得

本試験もめちゃくちゃ簡単だった。日本で免許を取っている人ならまず落ちないレベルだ。

とは言っても、1回目は落ちた。車のクラクションが鳴らなかったからだ。どうも壊れていたらしい。

そして、そこで自分の車が事故車だったことを知る。どうりで相場よりも安かった訳だ。エアーバッグも無かったので、それなりの事故車だったのだろう。

そんな訳でクラクションを修理して、2回目の試験に望んだらあっさり受かった。

そもそも道路がメチャクチャ広いので、運転技術がそんなに必要ない。縦列駐車の試験も無い。

路肩に停めて、真っ直ぐバックが出来ればOKだ。後は日本の感覚で普通に安全に運転すれば受かる。日本より基準はだいぶ甘かった。

車線が日本と逆で右側を走行することになるので、それだけ注意すれば問題ない。慣れるまではたまにパニックになったが。

路駐が多いLA

ロサンゼルスでは日本と違い、至るところで路上駐車が可能だ。アパートには駐車場が無いところも多く、その場合みんな路駐している。

基本的に路駐禁止のところは縁石が赤で塗られているのですぐに分かる。

私の住まいはガレージは1台分しかスペースが無く、ルームメイトが駐車場を使っていた。

私は当然路駐になるのだが、1つ問題があった。路上のクリーニングである。道路を掃除するために1週間に1回、数時間だけ駐車禁止になる時間帯がある。

私の住まいの近くはそれが朝だった。私は朝が苦手で寝坊して、よく駐車違反を取られていた。多分、帰国するまでに駐車違反で30万円分くらいは取られている。

ドラムセットを買う

アメリカだし家でも練習できるっしょ、車も買ったしとりあえずドラムセットを買おう!と思った。

英語がサッパリ分からないので困っていたところ、掲示版を見ていたら、たまたま日本人のドラマーがDWのドラムセットを売っていたのを目にする。

確か18万円くらいだったと思う。日本に比べるとかなり相場が安かった。これはチャンスと思って電話をして、直接会ってドラムを購入した。

その方はLAに長く住んでいるTAKAさんというローカルのプロドラマーだった。
後に彼をオーナーとしてusadrumshopというドラムショップを運営することになる。

ドラムを購入するついでに色々とアメリカの音楽事情を教えてもらった。

そこで分かったことは、

家で練習するのはアメリカでもさすがに無理。
日本にあるようなドラムが置いてあるスタジオはほとんど無い。
自分でロックアウトのスタジオを探すのが良い

とアドバイスをもらった。

スタジオと言ってもダンススタジオとか撮影スタジオとか色々あるので、向こうではバンドや音楽用のスタジオをロックアウトスタジオと呼ぶようだった。

スタジオを契約

ドラムセットも買ったので、スタジオの契約をした。

本来は友人やバンドメンバーなどとシェアをしてスタジオを借りるのが普通なのだが、知り合いもいなかったので一人でスタジオを借りた。

24時間使い放題で1ヶ月あたり4万円くらいだったと思う。
広さは12畳くらいあって、一人で使うには十分過ぎる広さだった。

格安で練習し放題

月4万円ならば、仮にバンドでスタジオを借りれば一人あたり1万円程度、2バンドでシェアすれば月に5000円以下になる。

日本では週に1回のバンド練習でも一人あたり月に5000円くらいかかってしまう。

アメリカなら同じくらいの出費で自分のドラムセットを使って好きなだけ毎日、練習が出来る訳だ。

時間の節約になる

この自分のドラムセットでそのまま練習出来る、というのが大きい。
大抵、日本でスタジオを借りれば最初のセッティングとチューニングで15分と最後の片付けに5分、合計20分は準備の時間だ。

仮に月に10回練習に行くとして年間では120回。準備の時間は1年で40時間分にもなる。これが1年間、毎日のことなら約120時間だ。

プライベートスタジオならこの分を練習に当てることが出来て、さらに自分のドラムセットを使える訳だから、そりゃ大きなメリットである。

今現在、自宅で生ドラムによる練習が出来ているドラマーは超絶環境に恵まれているので、涙を流して神に感謝したほうが良い。

当時、私はアメリカのドラマーは環境に恵まれているなと羨ましく思った。そんなことを言っても仕方がないので、今からは俺も頑張ろう!と意気込んだ。

他にも色々と準備

ドラムセットの他、PA機器も購入し、その場でプロドラマーの演奏DVDを確認出来るようにテレビとDVDデッキも置いた。

まだスマホが普及してなかった時代なので演奏確認用にテレビが必要だった。今思えば、ノートパソコンで良かったな、と思う。

そして、ホームオーディオ用の音響システムも揃えた。JBLのビンテージスピーカーとアンプ類などである。

PA機器はドラムを演奏する時に使って、曲だけを聴く時にはオーディオ機器を使った。

PA機器よりもオーディオ機器の方が音が格段に良いのだ。曲を聴く時、自分のドラムを確認する時にはオーディオ機器を使った。

ドラム演奏には使えないオーディオ

じゃあ、ドラム演奏時もオーディオ機器使えばいいじゃんと思うかもしれないが、オーディオ機器では最大音量に限界があるので無理だった。

音楽鑑賞用のホームオーディオとライブハウスで使っているPA機器では最大音量には雲泥の差がある。ドラム演奏時に必要なのは後者だった。

始めはそれを知らなくて、オーディオ機器で練習しようとして駄目だったのでPAも買ったのは内緒である。

生活感のあるスタジオに

ついでに冷蔵庫と仮眠用にソファも置いた。ロックアウトスタジオは住むのは厳禁なので、当然、住まいは別だ。

あくまでもスタジオに長時間留まっても不自由のない生活をするための準備である。

近くにはファストフード店もたくさんあるし、丸一日スタジオにこもる環境は整った。

こうして、ロックアウトスタジオで練習に明け暮れることになる。この頃には体の痛みはほとんど無くなり、ドラミングに集中出来るようになっていた。

スタジオの音響に悩む

アメリカのロックアウトスタジオは格安ではあるが、弱点もある。

スタジオの防音に四苦八苦

一切の防音処理をしていない、ただの部屋なのだ。しかも、コンクリートがむき出しの部屋だったので、反響がとんでもないことになる。

この部屋の防音、吸音にかなりの苦労をした。とりあえず、吸音材や遮音材を色々と買って、スタジオの改造をした。

この吸音材や遮音材をどこにどのように配置するかで音の反響がかなり変わってくる。ただ、闇雲に吸音すれば良いという訳ではない。

吸音しすぎるスタジオに注意

適度に音の響きが残らなければ良い練習は出来ない。特に音楽表現の練習には大きな支障が出る。

日本でもかなり前に作られたスタジオでは、当時の流行りだったのか吸音しまくって全く響きの無いスタジオがある。(吸音しまくるライブハウスも多い。)

このようなスタジオばかりで練習をしてしまうとサスティーンが短くなり、音色の変化も出にくくなる。

そして、初心者の場合、部屋の響きのことまでは考慮出来ないので、それが自分のドラムの音なのだ、として耳が学習してしまう。これはドラム上達に大きな弊害となる。

反響しすぎてもダメ

また、反対に響きが大きすぎる部屋も問題だ。今回の私のスタジオのような部屋である。

反響が大きすぎると今度はサスティーンが長くなり過ぎて、それぞれのドラムの音が部屋の中で回りすぎてしまいグチャグチャになる。

私は基本的に曲をかけて練習することが多かったが、曲も入るとさらにドラムとの混じり具合が悪くなり、とにかくやりにくかった。

日本のスタジオでは響きすぎることはまず無いと思うが、学生が部室で練習する場合などでは音の反響には注意した方が良いかもしれない。

理想の音響を求めて

ドラムの練習環境として、スタジオの反響を把握することは非常に重要だ。もし、今後スタジオを利用する場合には部屋の響きも気にしてみて欲しい。

スタジオの部屋ごとに響きが若干違うことに気付くと思う。部屋の音響は自分で変えることは出来ないことが多い。部室やレンタルスタジオに勝手に遮音材などを貼る訳にはいかないからだ。

しかし、それぞれの部屋の音響をしっかり把握することで全体の音作りやドラムの音作りがやりやすくなる。

響きやすい部屋での音作り、響きにくい部屋での音作りを自分のドラムプレイも含めてある程度確立しておくと非常に役に立つと思う。

私も当時、理想のスタジオ環境を構築するために頑張ったが非常に難しかった。

吸音材や吸音マット、卵のカラ箱などをうまく利用して、適切な練習環境になるようにスタジオを改造していった。

多少マシにはなるものの、最終的にスタジオを引き払うまでに理想の音響環境のスタジオにはならなかった。部屋の音響は思ったよりも奥が深かった。

どうやって生計を立てる?

アメリカでの収入基盤

海外で生活するにはお金がかかる。学費、スタジオ代、アパートの家賃、車の保険やメンテやガス代、その他生活費など。

最初に車代やドラムセット、スタジオの備品などで100万円くらいかかったし、その後も月の出費は学費やスタジオ代、家賃、その他の生活費などで20万円は超える。

定期的な収入がないと速攻で金欠になる。一般的に国に内緒で日系のレストランで働く留学生は非常に多かった。いわゆる、違法就労である。

多くの人がやっているからといって自分もやっていいと言う訳ではない。私としては万が一の強制送還もありうる違法就労には抵抗があった。(可能性はかなり低いが。)

そこで、私はWEBサイト作成(アフィリエイトなども含む)やFXの投資、ライターとして記事を執筆するなどして、フリーランスとしてインターネットでお金を稼いでいた。(投資は結構失敗もした。)

これはアメリカに来る前から準備していた。アメリカに長く滞在するには多くの金が必要だったが、その金を全て事前に貯めることなど不可能だったからだ。

アメリカで何とか生活出来たのはインターネットの収入のおかげであったことは間違いない。

フリーランスでプロを目指すのもあり

もしもあなたが真剣にプロのミュージシャンを目指しているならば、フリーランスの仕事に就くことも考えてみて欲しい。

私のようにライター以外にもWEBデザイナーやプログラミング、動画編集などフリーランスとして自宅で働ける職種は以外と多いのだ。

一般的に日本の場合には、ある時期までプロを一生懸命に目指してダメなら諦めて就職する、というスタイルが多いように思う。例えば25歳まで頑張ってダメなら就職する、30歳まで頑張ってダメなら就職するといった具合だ。

本当に自分が納得いくまで頑張った上で諦めるなら良いのだが、そうでない場合も多いだろう。日本では就職に年齢制限があるので致し方ない部分もあるが、非常にもったいないと感じてしまう。

アメリカは結構自由な国なので、よく分からん商売をしながら30歳を過ぎても40歳を過ぎても音楽で頑張っている人は多かった。

もちろん歳を取ったら家族がいるかもしれないので、ずっとバイトという訳にはいかないかもしれない。収入アップを見込んで就職を考えるのは当然のことだ。

そこで就職の代わりにフリーランスという訳だ。フリーランスならば実力次第で家族を養うだけの収入を得ることも出来るし、時間の融通は効く。なので音楽でプロを目指しての活動が可能だ。

これは普通に就職したら無理である。いきなり平日にレコーディングやライブの予定が入ってもその度に休みを貰える職場などなかなか無いだろう。

フリーランスならばクライアントから急な案件を振られない限りは締め切りに追われることも無いし(ちゃんと毎日仕事してればだが)、予定が全く空けられないということは少ない。

なので、音楽活動も自由に出来るし仕事も自分の頑張り次第でどうにでもなる。音楽で頑張り続けたい人にはお勧めだ。

今はランサーズやクラウドワークスなどで簡単に仕事の受注は可能だし、一旦就職してスキルを磨いてから独立という方法もある。

もちろんフリーランスは就職に比べれば不安定だし、誰にでもお勧めという訳では全くないが、一生音楽で頑張りたいという人には一考の余地はあると思う。

ローディーになる

たまたま、学校の仲間にプロデビュー間近のバンドでギターをやっている人がいた。その人がローディーを探していたのでやってみることにした。

ギタリストのローディーに

ローディーといっても機材の運搬やセッティングを手伝うくらいのことだったのでドラマーの自分でも問題なかった。

そして、そのバンドのライブを見たり、リハを見させてもらって勉強した。

ビザ取得の厳しさ

ここで、ワーキングビザの取得がいかに困難かということを知る。
というのも、そのギタリストも日本から留学でアメリカに来ており学生ビザで入国していた。

そのため、レコード会社と契約する際にはアメリカで正式に働けるビザが必要らしかった。
レコード会社としては、デビュー前のバンドにビザのサポートをする気は無いらしく(弁護士費用などでコストがかかる)、変わりのギタリストを見つけるか、自力でビザを取るかしてくれ、と言われていたようである。

彼のローディーをしたのはわずかな期間であったが、そのギタリストの方はそのバンドでは上手くいかなかった。その後は疎遠になってしまったのでどうしているかは分からない。

ただ、この出来事で中途半端にバンドをやるとメンバーに迷惑がかかる可能性があることを知った。
留学生としてアメリカに来ている以上、プロとして活動していくのは実力の問題だけでは無いことを実感した。

ドラムのローディーに

生活も落ち着いてきて、ドラムを練習出来る環境も整ったので、バンドでも探そうかなと思っていた。アメリカに来て2ヶ月くらい経っていただろうか。

DWのドラムを売ってくれたTAKAさんから連絡があった。ドラムの運搬やセッティングを手伝って欲しい、遊びに来る感覚で来れる日だけでいいよ、とのことだった。

ローカルでのプロドラマーがどのようなプレイや活動をしているのか興味があったので二つ返事でOKをした。

それから週末は様々なバーやクラブを一緒に回るようになった。周りのプレイヤーは全員現地のアメリカ人だったので、英語が分からなくて苦労した。

しかし、LAのローカルレベルの音楽水準がある程度分かりとても参考になった。レベルはピンきりではあるものの、総合的にはやはり高かった。休憩時間にはTAKAさんがセッションにおけるドラムのレクチャーもしてくれたのでありがたかった。

LAのローカル音楽事情

私が把握しているのはLAのセッション系ギグに関してになる。

バンドはあまりやらなかったのでバンド関係のローカル音楽事情は分からない。そのため、アメリカでバンドをやりたい人にはあまり参考にならないかもしれない。

セッションギグの仕事の取り方を知る

TAKAさんと一緒にLA中を回ることで、仕事の取り方も分かってきた。

当時、ローカルミュージシャンの仕事はバーやクラブでのセッション系のギグがメインだった。

向こうではギャラの出るライブのことをギグと呼んでいた。(なぜかは知らない。)

バーやクラブの仕事

バーやクラブ側がバンマス(バンドリーダー的な人)に出演のオファーをして、その予算に応じてバンマスがメンバーを集めるというシステムである。

もちろん、逆パターンもあってバンマスがバーやクラブにかけあって仕事を取ってくるケースもある。バーやクラブに限らず、結婚式やお金持ちのパーティー、街の野外イベントなど、需要は様々だ。

機材は自分で用意

機材などは全てバンド側で用意するので、ドラマーはドラムセット一式を持っていなければいけない。ギタリストなら、ギターやエフェクター類、アンプになる。

PA類は一般的にはバンマスが用意することが多い。これらは全て自分達の責任で準備しなければいけない。

例えば、スネアドラムのヘッドに穴が空いたら、それはクラブではなくドラマーの責任なので自分で何とかする必要がある。なので、サブのスネアやペダルを持っていくなど、最低限、演奏を維持出来る準備をする必要がある。

バンマスに気に入られるのが重要

ギグは急に入ることもあるため、固定メンバーという訳ではなくて、メンバーは入れ替わることも多かった。

つまり、仕事を取るためにはそのバンマスに気に入られれば良いということになる。
正直言って、アメリカのローカルミュージシャンは結構ドライというか実力主義だった印象だ。

今まで何年も一緒にやってきたとしても、別で上手い人が現れればその人に仕事を振ってしまうことも多い。

そして、仕事を失った方も特にそれで恨むわけでも無い。自分もより条件の良い仕事があればそっちを優先するからお互い様、という訳だ。

人種もあまり関係ない。全く関係無いことはないだろうが実力さえあれば英語があまり出来なくてもアジア人でも認めてもらえる世界だった。

なので、日本人である自分でも実力さえあれば仕事が取れる世界だった。

セッションで仕事をゲット

ジャムセッションの集まりに参加するのが仕事を取る一番の近道だった。

大抵のミュージシャンは、ギグに向けて良いメンバーをストックしておきたいので、定期的にジャムセッションに参加するのだ。

そして、そこで認められれば連絡先を交換出来る。そして、後で仕事の連絡が来るという具合だ。

ジャムセッションで自分の顔をうって、ギグ(仕事)をゲットする、という流れである。

仕事が来るまでの流れ

連絡先を聞かれたとしても、自分の序列までは分からない。相手は少しでも良いミュージシャンならば連絡先は聞いておくものだ。

いざ仕事が入った時に3人、4人とドラマーを当たったけど、都合がつかないなんてこともあるからだ。

特に今はFACEBOOKで繋がれば良いだけなので、他のミュージシャンと繋がることはかなり容易になっている。

だから、連絡先を聞かれた=認められたとは限らない。仕事の話が来るようになって初めて認められた、ということになる。

正直、序列がどれくらいかは分かりにくいが、概ね自分と同じレベルのバンドに落ち着くことが多い。

バンマスにも格がある

バンマスならメンバー選び放題という訳では無い。バンマスにも取れるギグで格があるからだ。

例えば、1000ドルの仕事を取ってきたら一人200ドル前後のギャラになる。300ドルの仕事なら70ドル~100ドル前後だ。

ギャラが倍以上違うのでこの2つの例で呼べるミュージシャンは全く変わってしまう。

そのため、多少のイレギュラーはあるものの、概ねバンマスのレベルに近いミュージシャンが呼ばれることが多くなる。

ジャムセッションに頻繁に顔を出しているのにギグの誘いが無い場合には、つまり仕事を取れるレベルにないということだ。

またギャラが少ない仕事では、分配出来るギャラを多くするためメンバー構成も最小限になる。なのでこの場合、管楽器などは呼ばれにくい。

ギグで仕事を取ることを目指す

ローカルでのセッションギグの取り方を知って、これは自分に合っているのではと思った。ビザの問題もあり一蓮托生になるバンドをやるのは後でメンバーに多大な迷惑をかける可能性があるからだ。

セッションギグの場合には余程大きな仕事でなければソーシャルセキュリティナンバーは求められず、ビザ上の問題やトラブルは無いことが大きかった。

アメリカでのソーシャルナンバーにはその人の全てがつまっている。日本のマイナンバーとは意味合いが全く違うほど重要なものだ。

以前は留学生でも取得出来たが、私が留学した当時(とっていも10数年前だが)には留学生がソーシャルナンバーを取るのは困難だったので、それが必要の無いセッションギグは自分には都合が良かった。

ドラムが上達するまでの道のり

ジャムセッションでボロボロに挫折

仕事の取り方が分かったところで、色々なセッションに行くようになった。

セッションは様々なミュージシャンが集まる。主なジャンルとしてはトップ40、R&B、ブルース、ジャズが主流だった。

トップ40というのは日本でいう誰でも知ってる定番曲のことである。ジャンル的にはポップスが多い。

ジャズは自信が無かったので、トップ40やR&B、ブルースのセッションに主に参加していた。TAKAさんから覚えた方が良い定番曲のリストをもらっていた。100曲くらいだったと思うが、それらの曲の予習はしていた。

譜面は一切無かったので、キメの多いような複雑な曲はあまりやらないのが普通だ。なので、知らない曲で初見でもある程度は問題ない。

しかし、全くと言っていいほど上手くいかなかった。

セッションに不慣れだったこともあるが、単純に自分のスキル不足が露呈してしまい、誰にも相手にされなかった。

時には私のプレイに怒って、曲を中断させてそのまま帰ってしまう人までいる始末である。正直、かなり悔しかったし歯がゆかった。

とにかく、まずは人並みにプレイ出来るようになろうとスタジオにこもって練習に励みセッションでは恥をかくという日々だった。

色々なミュージシャンを観に回る

とにかく、上手い人を観に行こう、そして少しでも自分のドラミングに活かそう。

そう思い、色々なミュージシャンを観に行くことにした。
少し調べたら、かなり著名なドラマーでも格安で観られることが分かった。

私が当時よく通っていたのは、ベイクドポテトやカタリナジャズなどのクラブだった。

生音を聴く重要性

これらの箱は小さめなので、PAを通すものの、ほぼドラムの生音を聴くことが出来た。

また、間近で見れる上に横から見ることが出来たので、ミュージシャンの動きもよく分かった。
私は耳が良くなかったのでPAを通してしまうと、ドラムがどんな音を出しているのか分からなくなってしまう。

難聴だったとか、そういう話では無い。ミュージシャンとしての耳、という意味である。

そして、正面から見ても体の動きがよく分からないので、斜め後ろくらいから見ないといけなかった。

これも視力が悪いから、ということでは無い。自分の身体操作レベルが低いので前からみても何も分からないのだ。

大きいハコより小さいハコ

ヴィニー・カリウタを観るためにハービー・ハンコックのショーに行ったが、PAを通した大きな音で距離も遠いため動きもよく分からず、この時は全く参考にならなかった。
そのため、小さいハコでとにかく生音を近くで聴けることにこだわった。

超一流のドラマーを大きな箱でPAを通して聴くよりも、小さな箱で一流ドラマーの生音を聴く方が絶対に参考になると今でも思っている。耳と目が良い人なら大きな箱でも参考になるのかもしれないが自分には無理だった。

ただ、小さいハコになると、どうしてもフュージョンやジャズなどのジャンルになってしまう。ポップス大御所アーティストのサポートのドラミングなどを間近で確認するには、以前の私のようにローディーをやるしかないと思う。

超一流ドラマーを見まくる

幸運なことにベイクドポテトやカタリナジャズには超一流ドラマーもよく来ていた。
家の近くにあったギターセンターという楽器屋に著名なドラマーがよく無料クリニックを開催していた。それにも参加した。

ブラック系の教会では毎週ミサのようなものがあり、一流ミュージシャンによるゴスペルの演奏があったので、それも見に行った。

スティーブ・ガッド チャド・スミス

デイブ・ウェックル ウィル・ケネディ

デニス・チェンバース アーロンスピアーズ

テディ・キャンベル クリス・コールマン

キース・カーロック ゲイリー・ノヴァク

などを間近で観ることが出来た。

これらの超一流ドラマーが無料か高くても3000円~4000円程度で観られたので、可能な限り観に行くようにした。

そして、そのドラムプレイを観たらすぐにスタジオに入って、出来るだけ同じような動きをしてみたり、同じような音を出すイメージをしてみたり試行錯誤した。

youtubeを使おう

日本では超一流ドラマーの生音を確認するのはかなり難しいと思う。そんな小さいハコにはなかなか来ないからだ。

ブルーノートで良い席を取ってギリギリいけるかどうか、という感じだと思う。

そこで手軽に使えるのがYOUTUBEの動画だ。恐らく、ドラマーならばドラムレッスンの動画や叩いてみたなどは頻繁に観ていると思う。

私がよく参考にするのが超一流ドラマーを間近で撮っている動画だ。

スマホの動画を参考にしよう

条件としてはスマホなどの簡易的な録音環境で撮っているものが良いと思う。

耳ができていないうちは多重録音でミックスされているドラムだと違いが分かりにくい。

そこそこ上手い人なら多重録音でしっかりとミックスして音作りをすれば、それなりに良い音に仕上がってしまう。

今は叩いてみたも動画の質を上げるために、プロのような編集をしているものも多い。なので、そこそこ上手い人とめちゃくちゃ上手い人の差が分かりにくくなっている。

I-phoneや音楽用のハンディビデオ(ZOOMのq4やsonyのMV1など)で撮った音源だと誤魔化しがきかないので初心者でも違いが分かりやすいと思う。

自分の普段の練習を録音する場合も似たような音質になるはずなので比較もしやすくなる。1つのマイクで録った録音で上手いドラマーは非常に参考になる。

一つ、例をあげておく。

Thomas Pridgenがフラッと楽器店によって試奏しているのを間近で録った動画のようだ。おもちゃのドラムを叩いているが、出ている音は素晴らしい。

後から一般のドラマーが一緒に叩き始めるのだが、音の質の違いは動画内でも顕著に分かるので参考になると思う。

このように、間近で一流ドラマーの演奏をI-phoneなどで録った動画は探すと意外と多いので参考にして欲しい。

たまに普通のスマホで録ったのか全然参考にならない音源もあるので(I-phoneはスマホの中ではかなり音が良い)、最低限の録音環境にあるもので1つのマイクで録っている音源を参考にしよう。

また、YOUTUBEならばポップス大御所アーティストのサポートのドラミングも確認が出来る。日本ではあまりやっている人がいないが、海外だとかなり色々なアーティストのサポートドラマーが動画を上げている。

せっかくなので、これも1つ例をあげておこう。

英語でのアーティスト名にプラスしてdrum camでyoutube検索すれば、ドラマー視点の動画が出てくる可能性は結構ある。上記はアリアナ・グランデのショーである。

大抵はgo proかI-phoneなどで録った簡易的な録音で若干音が悪すぎるものもある。

しかし、超大御所アーティストのサポートドラムを間近で確認出来て、さらにミキサーを通していない生音がある程度分かるのはdrum camくらいなので非常に参考になると思う。

もちろん、全てのアーティストでdrum camがある訳ではないから自分の好きな海外大物アーティストで手当り次第探していこう。

その内、関連動画でドラマー視点の動画が出てくるようになるので関連動画もチェックした方が良い。

さて、色々と脱線してしまったので話を戻そう。

日本に一時帰国する

アメリカに行って2年くらい経過してから運転免許を更新するために日本に一時帰国した。

アメリカでも免許は取ったが、日本の免許を失効させたくは無かったからだ。そして、ついでにK`s Musicに再入校した。

ついでとは言うが、この再入校がメインといっても良いくらいだった。色々とドラムで壁にぶつかって伸び悩みを感じていたからだ。

有意義な最後のレッスン

これが私がK`s Musicで受けた最後のレッスンとなる。この時にはスクールのスタジオが移転しており、3つもスタジオがあり控室も広くなっていて驚いた。

この時も音楽表現のレッスンを主に受けた。非常に有意義なレッスンでアメリカに戻ってから、思わずお礼のメールをしてしまった程だ。

自分の壁を1つ破ってくれたと思う。このレッスンを受けてから1年くらいの間に急激にドラミングが変わったのだ。人間、いつどこで壁を破るか分からない。

正直、モーラー奏法や体の動かし方に関するレッスンはあまり覚えていない。

覚えているのは音楽表現のレッスンばかりである。自分がドラムで何か掴んだと思った時には、校長があの時言ってたのはコレのことか!と後から分かることがよくあった。

頭では無く感覚を覚える

K`s Musicで教わったことはレッスン後に全てメモしていたが、これは正直あまり意味が無かった。なので、このメモ帳はアメリカで捨ててしまった。

頭で理解しても体や感覚で理解しないと無意味だからである。アメリカに来る前、日本でレッスンを受けていた頃は、言われたことを頭で理解しようとしていた。これは非常にもったいなかった。

当時からもっとレッスンに集中して、頭では無く感覚で覚えることが出来たら自分のドラミングはもっと向上していただろう。

しかし、日本在住時とこの時のレッスンで合計4年弱K`s Musicで習ったと思うが、決して無駄にはならなかった。

音楽レベルの高いアメリカで何とか食らいつこうと頑張れたのは、ドラミングでの体の痛みも無くなり、また、上手いドラマーの体の動きを分析したり聴いた音色を再現するための練習法などがある程度分かっていたからだ。

これらはK`s Musicのレッスンのおかげである。この経験やノウハウがなかったら1年経たずに挫折していたと思う。

モーラー奏法かどうかは関係ない

私はそれまではモーラー奏法にこだわっていた。K`s Musicでせっかく教わったし、モーラー奏法が凄いんだ!みたいな固定概念があったように思う。

しかし、アメリカで活動していて思ったのは、モーラー奏法とか関係なくね?ということだった。

音色を重視する

奏法を一切気にせずに自分の出したいイメージ、音色を重視する方が結果的に自分には合っていた。

モーラーがどうとか、体の動かし方がどうだとか考えると、左脳的な処理になってしまうのか全く上手くいかなかったのだ。

自分の理想の音、出したい音を出すには実際には回転主体の動きが不可欠なので、結果的にモーラー的な要素は必要ではあった。

しかし、モーラー奏法をやろうと思って表面だけの形や動きにこだわることと、出したい理想の音色やドラミングをイメージしてそこから必要な体の動きを突き詰めていくのでは全く意味合いが異なるのである。

モーラー奏法だけにこだわると、以前の私のように前者に陥る可能性があるので注意した方が良いかもしれない。

理想の音を持つ

まずは色々な音楽を生で聴いて確固たる理想の音を自分の中で作り上げることが重要だと思った。

これはもちろんドラムだけでなく他楽器も含めてのことである。ドラマーはドラムにこだわってしまう人が多いように思う。

ドラムにはメロディーが無い。だからこそ、よりメロディーにも気を配るべきである。

それぞれの楽器の理想の音

何も作曲者になろうとか、そういうことでは無い。それぞれの楽器の理想の音を持てばそれで十分だと思う。

好きなギタリストやベーシスト、キーボード、管楽器奏者など、一体何人くらいいるだろうか?

昔の私のように好きなドラマーは数え切れないくらい挙げられるけれど、他はサッパリなんて人もいるのではないだろうか。

歌が上手いかどうかは楽器をやっていない一般の人でも分かるのに、他楽器での上手い下手はミュージシャンでもよく分からないのだから面白い。

優れたミュージシャンになるには他楽器も含めたアンサンブル全てにおいて、それぞれの理想の音を持つべきだと私は思う。これが自分の楽器の演奏力の向上にも大きく役立つ。

youtubeを参考にする

楽曲で他楽器の音を聴くのが難しいならば、YOUTUBEの弾いてみたを参考にすると良いと思う。

先程はyoutubeでドラマーを観ることを勧めたが、それは正直、誰でもやっているだろう。他楽器にまで気を配ることでライバルに差をつけることが出来る。

YOUTUBEならばそれぞれの楽器をどのように弾いているか分かるし、大抵は演者の音だけ大きくしているので、音が分かりやすい。

上手い人が分からない場合には、再生数とGOODの数、チャンネル登録者数が多いものを選べば良い。

子供や女の子、超絶イケメン、アイドルなど希少なプレイヤーでは付加価値がついて人気のケースもあるので、顔出し無しか普通のミュージシャンで数字の高い人を選択した方がいいかもしれない。

こちらは先程のようにI-phoneでの音源にこだわる必要はない。まずは出来るだけ良い音で聴いた方が勉強になると思う。

日本人だけでなく海外のミュージシャンのものを見ると非常に参考になるだろう。プロも弾いてみた、をやっているので有名プロのものを参考にするのも良い。

そして、気に入った演奏者がいたら、同じ人の他の演奏もチェックしていこう。これを繰り返すだけで、他楽器でも自分の好みが少しずつ分かってくる。

そして、その内ギターでの理想の音、ベースの理想の音、キーボードや管楽器の理想の音などが出来てくる。

ボーカルに関してはドラムよりも身近であり、肌で感じれば誰でも上手い下手は分かるし好みも分かると思うので特に気にすることもないだろう。

アメリカに戻る

免許を無事に更新したので、次の更新まで帰るつもりは無かった。

ここから、再度アメリカでドラムを追求する日々が始まった。

機材に多少こだわるようになる

ドラミングを追求していくと、とにかく気になることが多くなってくる。

スネアの音がイマイチ、タムがわんわん言う、バスドラの音をもっと工夫したい。ハイハットのオープン時の音をもっとなめらかにしたいなど。

言い訳が出来ない環境

日本にいた時にはスタジオやライブハウスのドラムを使っていたので、

「ここのドラムはヘッドがヘタれている。」
「ハイハットスタンドのバネが弱ってるから上手く踏めないのも仕方ない。」
「ライブではタムのチューニングをする時間が無いから音がめちゃくちゃでも仕方ない。」

というように機材を言い訳に出来た。

しかし、アメリカでは全て自前のドラムセットで練習をしている。ギグ、つまりライブでも自分のドラムセットを持ち込む。

近くには楽器屋も多数あるし、ヘッド類やパーツ類、ドラム類も全てすぐに揃う。機材については何も言い訳が出来なかった。

試行錯誤する

そこで、様々なヘッドを試したり、シンバルのフェルトを色々変えてみたり、ハイハットスタンドやペダルを変えてみたり、ヘッドをミュートしてみたり、色々と試行錯誤するようになった。

特にチューニングは今まで全く気にしていなかったのだが、この音は嫌だな、この音があのCDの音に近いぞ、といった具合に気になるようになってきた。

正直、チューニングは奥が深すぎて、全く上手くいかなかった。そこそこ満足出来るなら妥協した。そうでないと、ドラム自体の練習時間が取れないのである程度は割り切ったのだ。

この頃から、ようやく機材やチューニングも含めてトータル的にドラムに向き合うようになった。初心者ドラマーからようやく初級者ドラマーくらいになった気持ちであった。

周りの好むドラムが分かってくる

当時、私の周りにいたミュージシャンやオーディエンスたちは本当に素直であった。
悪いプレイをすれば完全無視であるが、良いプレイをすれば褒めてくれるのだ。

そして、私はどんなプレイをすれば周りに褒められるだろうか、ということを必死に考えた。

コミュニケーションとしてのドラム

そもそも、ジャムセッションというのは2部制か3部制のため、休憩時間というものがある。

休憩時間には音楽を鳴らさずに耳を休める意味合いもある。だいたい15分~20分ぐらいだろうか。

この時間はみんな会話によるコミュニケーションを取るのが普通だった。

地獄の休憩時間

この休憩時間が地獄なのである。
正直、英語も大して話せない超絶下手なドラマーなど、誰も興味を持たない。

それこそ、ドラムが下手でも英語が苦手でも、明るいパリピなら問題ないであろうが、自分はどちらかと言うと陰キャであった。

とても辛い休憩時間である。

しかし、良いプレイをした時には、色々な人が話しかけてきてくれるのだ。
上手いミュージシャンの周りには自然と人が集まっていた。

不純な動機でモチベーションアップ

私はボッチになりたくない、他のミュージシャンにキレられたくない、認められたい、という少し不純な動機によってモチベーションを上げていた。

周りから認められるためにはどうすれば良いのかをとにかく考えていたのだ。

そして、称賛されているドラマーはどんなプレイをしているのか、自分がどんなプレイをした時に褒められるのかなどをよく考えるようにした。

この頃から少しずつ、LAのオーディエンスやミュージシャンの好むドラムが分かってきた。

テクニックに傾倒する危険性

一人でスタジオにこもっていることが多かったので、下手をしたらテクニック重視の独りよがりのドラムプレイヤーになっていた可能性もあった。

特に超一流のドラマーを観に行った後は、そのテクニックにも目を奪われた。大抵はフュージョン系、ゴスペルチョップスのドラムが多かったのでその影響を受けた。

難解なフレーズは不要

オシャレなリズムパターンや難解なフレーズ、高速連打に憧れて、実際にそれらの難解フレーズの練習も取り入れたりもした。

しかし、それは大きな間違いだとすぐに気付かされる。ローカルレベルの実戦ではそんなものは全く役に立たなかったのだ。

難解なフレーズを入れようとすると、トータル的なグルーブまで気が回らなくなる。

グルーブ中心で考える

ドラムフレーズは自分の持っているベストなグルーブ感をキープ出来るレベルのもので組み上げていかなければいけない。難解フレーズに加点がある訳では無いし、全体のグルーブ感を崩せばマイナスにしかならない。

「よっしゃ。ここでこの前練習した大技を入れよう!」のような邪念は捨てなければならなかった。大技だと思っている時点で自分に見合ったプレイでは無く、トータル的にはかなりのマイナス評価になっていたからだ。

私は一時期、ゴスペル系のような複雑な高速連打を入れることが出来れば称賛されるかもしれないと頑張って練習した時期がある。

結果としては最低な評価となった。ドラム酷かったけど、どうした?と言われる始末である。それから、身の丈に合わない練習はやめた。

極論を言えば、フィルインはほとんど無くてもグルーブが良ければ仕事は取れるのだ。

ここでも1つ例を上げよう。タワー・オブ・パワーのサポートドラマーのドラムカムである。

タワー・オブ・パワーのメインドラマーはデイビット・ガリバルディであるが、彼の不在時にはサポートドラマーが入る。

サポートなのであまり余計なことをせずにバンドを支えているのが伺える。

ドラムの真髄を思い出す

グルーブとは一体何だろうか?ここで思い出したのはK`s Musicで受けた音楽表現のレッスンである。

シンプルなドラムで人を感動させること。

ここにドラムの真実があり、それを追求することが周りにも評価されるドラマーになるのだということを再確認した。

それからはテクニックに傾倒せずに、ひたすらグループや音色にこだわった。

グルーブを出す練習方法

音楽表現のレッスンを受けていたことでグループ感を高めるための練習方法を分かっていたことは非常に大きい。主に剛性コントロールや腱の使い方、ドラムでの歌い方、呼吸法、周りの音の聴き方、脳の使い方などが役に立った。

これが分かっていなかったら、確実にそのままテクニック重視のドラムに傾倒してしまったと思う。

人は自分が出来ることを延々と練習することは難しい。単純に飽きてしまうのだ。そのため、どうしてもテクニックに傾倒したくなる。新しいリズムパターンを覚えることは成果として分かりやすいからだ。

逆に単純なドラムを追求することは難しいのだ。とにかく進歩が分かりにくい。長い迷路をさまようようなものだ。

自分の確固たる理想の音があり、その音を出すための練習方法まで分かっていないといけない。

ここまで分かっていると、ひたすらシンプルなエイトビートをずっと練習することが出来る。理想の音に近づけるという明確な目標のために練習出来るので、少なくとも飽きることは無いからだ。

自分の理想の音が信念になる

私にとっての理想の音は生で見たデニチェンでもなければウェックルでも無く、校長の音だった。

1時間~2時間程度、ライブで聴ける超一流の音よりも、数年間、近くで聴くことが出来た超一流の音を理想だと思うことは不思議なことではない。

より細かいリズムパターンを覚えるとか、自分だけのオリジナルフィルインを考えるとか、全く見当違いの方向性にいかなかったのはその理想の音のおかげだと思っている。

途中、忘れかけて危ない時期はあったが、アメリカでドラムを追求すればする程、理想の音はあの校長の音だと確信したのだ。

そのような理想の音を持っていなかったら、いつの間にかテクニック重視のドラマーになっていたのは間違いない。

そして、ドラマーにだけ称賛されるドラマーになっていたと思う。ドラマーは私に仕事を持ってきてはくれないので、当然仕事は取れない。

我々はドラマー以外のミュージシャンに称賛されなければいけない。そのために、ただひたすら理想の音を追い求めて、ドラムを追求する日々であった。

練習は量より質

それまでの練習は正直、かなり漠然としている部分があった。メニューは決まっているので、ある意味やることは明確なのだが目的がないのだ。

例えば、始めの30分でルーディメントの練習、次の30分でフィルインの練習、次の30分でリズムパターンの練習、残りの数時間で曲の練習といった具合だ。

一見するとメニューが決まっていて良い練習のように思えるが、私の場合の問題点はそれぞれの練習に目的が伴っていなかったことだ。

そのルーディメントは何のために練習しているのか?そのフィルインで自分は何を意識して練習しているのか?曲をかけて合わせてドラムを叩いて何の練習をしているのか?特に何も考えてなかった。

目的が決まっていない練習は正直、無駄でしかない。もちろん全くやらないのに比べれば数段マシだが、ただ何も考えずに出来る練習は本当の意味での練習とは言えない。

今までは何も考えずに出来る手癖でのルーディメントなどもウォーミングアップと称して練習に組み込んでいたが、それをやめた。

明確に目的を決めて、その目的を達成するための練習だけに取り組むようにした。具体的に言えば、私の場合はグルーブを獲得するための練習だ。

それが、剛性コントロールや腱の使い方、ドラムでの歌い方、呼吸法などを含めた練習になる。この場合、ひたすらクラッシュシンバルだけを叩いてみたり、スネアのバックビートだけを集中して練習したり。

またハイハットやライドの音色をどう変化させるか試行錯誤したり。重心移動を体に染み込ませるために全く同じフィルインを1時間やったり。

メニュー化させるのではなく出したい音がどうしたら出せるのか、自分の求める体の動きはどうすれば出来るようになるのか、ということを目的として練習をするようにした。納得がいけば5分で終わる練習もあれば、数時間かかる練習もある。それでもダメなら次に持ち越しだ。

何かを大きく掴めそうな時は狂ったように長時間、練習した。時間が空いて次にスタジオへ来た時にその感覚が失われているかもしれないと思うと怖かったからだ。こうして確実に一つずつ理想の音を出すためのコツを掴んでいった。

このような練習法に変えるようになってから、今までのメニュー化していた練習は最早自分にとっては練習と言えるものでは無いことが分かってきた。

練習は量より質である。自分がどんなドラマーになりたいのか、その目標や目的に適した練習方法をぜひ確立して欲しい。

求められている音を提供する

テクニックがダメな訳では無い

別にテクニック重視のドラマーを批判する気は全くない。正直、私もテクニックへの憧れは存分にある。趣味でドラムをやるならば自分のやりたいことをやれば良いのでテクニック重視もアリだ。

しかし、当時の私は周りに認められたい、仕事が取りたいという一心であり、それには求められている音を提供することが最も重要だった。

そして、テクニックは不要だった、というだけである。

もちろん、テクニックがあってマイナスなことは無い。ただ、そこで求められていた最低限のドラマーの仕事はテクニックではなくグルーブにあるということだ。

グルーブとテクニックの違い

グルーブもテクニックの一部だと考える人もいるが私は全く違うと思っている。

グルーブは曲の中で生まれるものであり、テクニックはドラム単体でも成立するものだと私は考えている。

グルーブの特徴

グルーブは基本的には他楽器との調和によって生まれる。つまり、曲の中にドラムが混ざることで生まれるもの、と私は解釈している。

そもそもドラム単体でプレイする機会というものはバンドの中ではほとんど無い。それなのにスタジオの個人練習ではドラム単体での練習だけに時間を割いている人も多いのではないだろうか?

ドラムは基本的に曲に合わさることを想定して音を考えていく必要がある。ドラム単体では酷い音でも曲に合わさったら良い音になればOKなのだ。

もちろんドラム単体でのグルーブというものもあるにはあるのだが、これは曲を何かイメージして叩いて生まれている部分も多いと思う。

上手いドラマーがドラム単体でシャッフルをプレイしても確かにグルーブは出る。しかし、これは曲中にプレイしているグルーブをドラム単体で出しているだけではないだろうか。

私はサウンドチェックでドラム単体でシンプルな演奏をする時には必ず何か曲を頭の中で想像してプレイしている。テクニックはそれ程無いし、ドラムだけで演奏するのは退屈だからだ。

歴の長いドラマーは曲と一緒にプレイした経験が多いため、ドラム単体でプレイしても曲中のプレイが染み付いていて無意識に曲中と同じようにドラムを叩いていることは多いだろう。

ドラム単体でプレイしても自分の中に確固たる理想の音が根付いているのだ。それがグルーブを作っていると私は思っている。決してドラム単体でグルーブが出ているわけでは無いと思う。

テクニックの特徴

テクニックというものはドラム単体でも完結すると私は考えている。

フラムやパラディドル、手わざ足技、複雑なリズムパターンや高速連打などが主であろうか。

これらの難解なフレーズは歌い方やダイナミクスのコントロールが極端に難しくて曲に入ると埋もれてしまうことも多い。

つまり、曲中はイマイチ使い勝手が良くないので、ソロなどのドラム単体でプレイした時に最も映えると私は思っている。(後は難度の高いジャズやフュージョンなどの一部ジャンルでは曲中でもテクニックがグルーブ作りに必要だ。)

ドラム単体の演奏ではテクニックを使って自由に演奏出来るのに、曲ではなかなか出来ないと悩んでいる人もいるかもしれない。

しかし、その曲にそもそもそのテクニックが必要なのか?ということは考えた方が良いと思う。

何が必要かはジャンルで変わる

当時、私がやっていたのはブルース、R&B、トップ40(ポップスに近い)が多かったのでグルーブが最も求められていた。

しかし、もしフュージョンをやるとなったら、それだけでは通用しなかっただろう。

当然手数も必要になってくるし、パラディドルやフィルインや少し複雑なリズムパターンの練習は必須になったと思う。

フュージョンは複雑なキメも多いし、歌が無いことも多いのでテクニックや手数でグルーブ感を作っていく要素が他のジャンルよりもかなり大きいと思う。

またジャズの場合にはソロ回しが多いし、スネアワークやルーディメントに関して全くの無策という訳にはいかない。

ロックをやる場合にはステージ映えするドラミングを最も意識したかもしれない。パンクをやるなら、まずタトゥーを入れただろう。

もしも伴奏も音源も無しでドラムだけのソロ独演会をするならば、テクニックが何よりも重要になる。

この場合、曲と一切合わせないのだから曲を生かすためのグルーブなんて一切必要ない。とにかくテクニックが無ければ話にならないだろう。

このように、最も重視すべきことはジャンルによって変わると思う。

プロになるならグルーブは大事

そして仮にドラムでプロになりたい!と考えた際に、プロとしての需要が大きいジャンルの方が有利だ。

つまり一般大衆に好まれているジャンルということになる。それは、ポップスとその周辺のジャンルだ。

周辺って何という話だが、まあロックやブラックミュージックとかその辺だ。(日本ではブラックミュージックはそこまで馴染みがないかもしれない。)

このあたりの人気ジャンルだとドラムはバカテクを必要としないことが多く、必然的に音色やグルーブにこだわる必要がでてくる。

LAのローカル界隈でもいたのだが、テクニック的には超絶上手くてドラムソロ時にはめちゃくちゃ盛り上がるのに、なぜか仕事を全然取れない。こういうドラマーは結構いた。

理由はグルーブが足りないからからだ。曲を引き立てることが出来ず独りよがりのプレイをしている。

ギグは3時間くらいあるのだ。ドラムソロの時間は短いので、それだけがウリでは仕事には呼ばれない。

地域性も考える

音楽をやる上では地域性も考慮した方が良いかもしれない。

地域性というのはその土地の音楽の趣向性だ。同じジャンルでも地域によって好まれる音楽は変わる。

ロサンゼルスのジャズとニューヨークのジャズでは全く違うと思う。LAはとにかく音がデカイ。

ジャズでも音がデカイ。R&Bやブルースでも音が超デカイ。なので、ドラムも基本的には大きい音が必要になる。

そして、極端な表現が好まれるので、音楽表現は大げさにやる必要があった。手数は必要ないが、極端なダイナミクスは必須だった。

自分の活動する地域ではどんな音が好まれているのかを把握すると、より自分の目指すべきスタイルが見えてくると思う。

未来のドラマーへの心配

なぜこうもテクニックでは無くグルーブを大事にしようと言っているのか。それは自分がそれで苦労したから他の人に同じような間違いをしてほしくないからだ。

テクニックや手数、おかず系の動画の需要が非常に高いことから、ドラマーの興味の多くはテクニックに向いていると感じる。

そういうものが必要なジャンルをやっているなら全く問題ないのだが、ポップスやロックをやっているのにテクニックに傾倒しているドラマーもいるだろう。

ウェックルのあのフレーズをバンドに入れたらカッコイイかも?いや、辞めておいた方が良い。君のバンドはロックバンドだろう。(昔の私に言っている。)

ドラマーがドラムに求めていること、そして現場や他ミュージシャンがドラムに求めていること。この2つの間に大きな違いが起こってしまっていると感じる。

自分がドラムに何を求めているのかはよく考えて欲しい。趣味として楽しみたいのか?ドラマーから称賛されたいのか?音楽関係者、ミュージシャンや観客から称賛されたいのか?

そして、自分のジャンルに必要なドラミングが何なのかを把握するべきだ。これらをしっかりと分かっていれば迷うことなく自分のドラムを追求出来るはずだ。

マスキングの音を重視

YOUTUBEで動画を上げている若いドラマーも少し心配だ。ドラムの叩いてみた動画はドラムをマルチレコーディングして音源を後から合わせる方法が主流だ。

それを考慮してか練習する際にもイヤフォンで音源を聴きながら曲の練習をするドラマーもいるようだ。これでは実際の音と合わさったマスキングの中でのドラムの練習にはならない。

リハやライブの時のように、実際の音とマスキングされた時に良いドラムの音になることが大事だ。練習ではリハと同程度の大音量をPAから流して曲の練習をして欲しい。

ドラム単体で良い音が出ていても全く意味がないのだ。

ドラム単体で良い音=良い音?

おいおい、ドラム単体で良い音なら曲に混じっても良い音だろうと思うかもしれないが実際には違う。

例えば、ドラム単体の時にはドラムの倍音がかなり気になることもあるだろう。しかし、曲にマスキングされると、これらの倍音はほとんど気にならなくなる。

それなのにドラム単体で気になるからと倍音を過剰に気にしすぎても無意味だ。チューニングもマスキングされた時に良い音になることが大事だ。(レコーディング時はまた別かもしれない。)

ドラム単体だと荒くて雑に聴こえるようなハイハットワークが曲と一緒になると馴染んだりもする。

また、ゆっくりな動きでドラムを叩くと落ち着いた音になるが、ドラム単体で聴くとインパクトにかける。しかし、ゆっくりめのポップスなどに合わさると、アタッキーさやトゲトゲしさが無くて曲と調和したりする。

このように、ドラム単体ではなくて必ず曲と混ざった時に良い音になることが大事だ。その感覚を養うにはバンドをたくさんやるかセッションに行きまくったりして実戦経験を積むのが一番だ。

しかし、環境によっては難しいという人もいるだろうから、その場合には曲をPAから流して練習することをお勧めしたい。

ドラマーのレベルは上がっている

色々言ったが、実際には最近のドラマーのレベルは上がっていると思う。

YOUTUBEによってたくさんの超一流ドラマーの動画を無料で確認出来る上にドラムの基礎練習も昔よりも進化している。

そして、YOUTUBEへの動画投稿でモチベーションの維持も出来る。だから、私がまだドラムを始めていないような年齢でもビックリするぐらい上手いドラマーもいるのだろう。

いずれにしても筋トレに近い練習法がまかり通っていた時代のドラマーでは到底太刀打ちできないレベルになっていると思う。(それとも昔もすごいドラマーはたくさんいたが、地方に埋もれていたのだろうか。)

なので、その時代のドラマーである私の心配は杞憂に終わるかもしれない。

しかし、テクニックに傾倒して伸び悩んでいるドラマーもいるだろうから、心当たりがあればグルーブや音色、楽曲全体に気を使ってみることをお勧めする。

何にリソースを割くか?

何かを成し遂げるために、どこにどれだけのリソースを割くかを考えることは非常に重要だ。

私にはドラムにおいて色々なことを出来る程の器用さは無かった。グループ感も鍛えつつ、多彩なドラムパターンも操り、テクニックもあったら確かに最高だ。

しかし、そんなことは不可能である。

テクニックでグルーブ感も出る?

以前はルーディメントなどのスティックワーク、テクニックやドラムパターンのバリエーションを増やすことでドラムの多様性が増して、グルーブ感もアップすると思っていた時期もあった。

実際にそう思っている人も多いのではないだろうか?しかし、それは完全に間違いであった。

グルーブは私にとってそんなに甘いものじゃなかった。難しいことを取り入れると体の使い方やイメージの難易度が一気に上がってしまい、グルーブが退化していた始末である。

複雑なリズムパターンやフィルインを覚えればグルーブも良くなると思っているならば注意して欲しい。これらはテクニックだ。テクニックとグルーブが違うことは先程述べた通りだ。

グルーブはグルーブ感を良くする練習で磨かれる。他楽器との調和や音色への感性を高めることなど、ドラマーとしてだけでなくミュージシャンとしてドラムに向き合うことが重要になる。

時にはルーディメントの練習よりも他楽器の口真似の方が良い練習になることもあるのだ。ドラムを叩くことだけが練習では無いと私は思っている。

プロでも選択している

トーマス・ラングはドラムクリニックで言っていた。「自分にはスティーブ・ガッドのように1つのドラムセットでどんなジャンルも最高のプレイは出来ない。だからセッティングやチューニングにこだわっている。」と。

私がその時、生で彼を観た時の印象も同様だった。彼はグルーブ感よりもチューニングやテクニック、そしてドラム自体の楽しさを人に伝えることを重視していると感じた。(もちろん、ドラムクリニックだったから、というのもある。)

私が以前に坊やをしていた木村さんはレギュラーグリップは一切やらない。それをマスターする時間がもったいないから一切レギュラーグリップの練習はしなかった、と言っていた。

確かに木村さんはジャズでもマッチドグリップを使っていた。

彼らほどのドラマーでもどこにリソースを割くかを選択しているのである。凡人の自分はより明確に何を重視するかを選択する必要があった。

仕事を取ることを重視

自分の目的はローカルで仕事を取れるドラマーになることであったので、そのために必要なことはとにかくシンプルなドラムでグループを鍛えることだと思った。

グループ感を出す一番の肝はハイハットやシンバルワークであることが多い。(ジャンルにもよる。)

そのため、とにかくシンプルなハイハットワーク、シンバルレガートをひたすら練習した。手足のコンビネーションや複雑なフィルインの練習は一切しないようにした。それが私のリソースの割き方だった。

要は、グルーブ感に全振りである。テクニックは一切無視して周りとの調和を重視するドラミングをひたすら目指した。調和とは周りの音に埋もれることでは決してない。

周りの音にマッチしながらも、楽曲を底上げするような存在感や役割が求められている。

グルーブがどうとか人には言えない

ちなみに当時、グルーブ感にこだわっているなんてことは誰にも一切言っていない。

「あいつグルーブにこだわっていると言う割には音ショボいよね?」と思われたくないからだ。逃げの姿勢である。

なので、ジェフ・ポーカロが好きなことも人には言わないようにしている。

blink182のトラヴィス・バーカーが好きでドラムを始めたので、好きなドラマーはトラヴィス・バーカーと言うようにしている。

仕事が取れるようになるまで

このあたりからようやくミュージシャンとして周りに認識されるようになった。

それまではドラムが下手すぎて英語も喋れない、何かヤバイやつ扱いだったと思う。

アメリカに来て数年経っているので、英語も日常会話には不自由しなくなっていた。

ドラマーの役割を知る

他のミュージシャンやオーディエンスはドラムパターンやフィルインをほとんど聴いていないし、ドラムは添え物だということを実感した。

先程も言ったが、難解なフレーズをプレイしたところで称賛される訳では決して無かった。称賛されるポイントは【ポケット】にあった。

ドラマーが良いプレイをした時には、「今日のドラム、ポケットにハマってたよ。」という表現をすることが多い。

ポケットにハマる重要性

意味はよく分からなかったが、このポケットにハマることが重要だった。【ポケットにハマる=全体の楽曲と調和している、ノレている】と考えて差し支えないと思う。

少し言い方を変えるとドラムはポケットにハメていかなければいけないのだ。

日本ではドラムがまずリズムキープして、そこにベースやギター、歌が乗っかるという意識がある。
少なくとも私がやっていた日本のバンドはそういう考えであった。(この概念は初心者バンドに多いかもしれない。)

この場合、ドラムはリズムキープをしておけば周りが合わせてくれるから特に周りの音を意識しなくても大きな問題は無い。

しかし、アメリカではグルーブの根本を作るのはバンマスやコード感のある楽器であり、ドラムはそれに合わせて追従してグルーブを作っていく、という意識があるように感じた。
(日本でもレベルの高いバンドは同じ感覚かもしれない。)

ポケットが仕事を取る鍵

最終的にはポケットにはまっていれば仕事は取れることが分かった。手数を増やすとポケットから外れやすいためマイナス評価になるのだ。

テンポキープも一定を求められている訳ではなくて、バンマスやその他のミュージシャンに呼応して適切なテンポに調整することが求められた。

そうしないとすぐに睨まれるので分かりやすかった。そのため、曲のカウントもドラマーが出す訳ではなく、バンマスが出すことが多かった。

そのバンマスの中ですでに曲のイメージが出来上がっているからだ。ドラマーはそのイメージを壊さず、より良いものにしてやるだけでよいのだ。

ドラムは添え物ではあるものの、全体をしっかりと把握して、指揮者のような役割も求められている。そして、これを1曲通してうまくコントロール出来た時に「ポケットにハマっていた!」と称賛されるのだ。

グルーブ感とバンマスのイメージをとにかく重視したことにより、ポケットにハマることが少しずつ出来るようになっていった。

ポケットの一例

ポケットって何よ?という話なので、一つ、具体例を上げたい。

私がローカルでやっていたミュージシャンたちはブルースでは2と4のバックビートを思いっきりレイドバックさせていた。

つまり、2と4のバックビートをタイミング的に遅らせていた、ということだ。

特に黒人系のミュージシャンになるとよりクセが顕著になり2、4以外のリズムもかなり崩してくる。他ミュージシャンが普通にプレイしたらメチャクチャになる。

しかし、ドラムや他演奏者がその音をしっかり聴いてうまいことポケットにはめてやれば、何とも言えないグルービーな演奏になったりする。

そういうのがポケットの一種だ。つまり、ちゃんと周りの音を聴いて、全体の音が調和するように調整すれば必ずポケットはハマるということだ。

体が完全に痛みから開放される

この頃から大きく自分のドラミングが変化するのが分かった。自分の出したいイメージの音が少しずつ出るようになってきたのである。

きっかけは日本で受けたレッスンだったのは間違いない。そしてお礼のメールもこの頃に送ったように思う。

完全に体の痛みからも開放された。やっているジャンルはR&Bが多かったので、理想のドラムイメージを上書き出来たのが大きかったと思う。

たまに激しいロックもやったが、全く体が痛むことは無かった。それまでは静かなドラムは問題なかったが激しいドラムをやると少し体が痛かったのだ。

絶対に治らないと思っていた体の痛みが無くなったことは本当に驚きだった。体の痛みに悩み始めてから7年~8年後のことであった。

1日に8時間くらい練習しても全く問題なかった。今後、何があってもドラムで体を壊すことは無いと自信を持てた。

体の痛みは一生残るかも

今、ドラムをやって体の痛みに悩んでいる人は注意して欲しい。その痛みは一生、後遺症が残るかもしれないから早めに対策をして欲しいのだ。

私はドラムでは一切体が痛まなくなったが重いものを持つと腕が痛む。これは筋肉痛のようなものではなくて、筋というか腱?が痛む。

恐らく、体はもう完全に良くなっているはずだ。しかし、脳が痛みを記憶していて筋肉に負荷がかかると痛みが出たと勘違いしているのだと思う。

これは恐らく、一生残るのだと思う。このような酷い状態になる前に自分の体と向き合って、体を痛めることなく楽しくドラムライフを過ごして欲しい。

ダイナミクスと音色の重要性

仕事を得るために重要なのはポケットだと言ったが、称賛をさらに得るために重要だったのがダイナミクスと音色である。

ダイナミクスとは音の強弱のことであるが、単純な音の強弱では無い。音圧のコントロールも含まれている。

音色とは、ドラムの音の質だと思ってもらって良い。音のサスティーン(音価)も含めて考えた方が良い。

LAのミュージシャンはとにかくダイナミクスの幅が大きかった。こんなに極端な表現するんだってくらいダイナミクスを付けることも多い。

それに呼応するためには、こちらも大げさな表現力が求められた。ここでも役に立ったのはK`s Musicの音楽表現である。

剛性コントロールがウケる

特にウケが良かったのは、剛性を瞬間的に変えて音色を変化させる方法である。なんだか分からないが大雑把なアメリカ人にはドンピシャだったのだろう。

この剛性コントロールを本格的に演奏に取り入れるようになってから、ダイナミクスと音色の幅が広がり周りの反応はすこぶる良かった。

小さい音でも存在感のある音も出せるし、大きな音でも耳に痛くない音を出せる。落ち着いた雰囲気を表現したり、激しい表現も出来る。

R&Bやトップ40では剛性コントロールは大いに役立った。超高剛性は特にウケが良いのだが、上手くやらないと体に負担がかかる。

日本にいた頃は手がすぐに痛くなってしまい全く上手く出来なかったので低剛性をメインにしていた。いつの間にか剛性をかなり高めても体が痛くならなかったことに内心、驚いた。

剛性コントロールが出来るまで

先程は簡単に剛性コントロールを取り入れたかのように書いたが、実際には剛性コントロールがある程度実戦でも使えるようになるまでにはかなり時間がかかった。

正直、体の痛みがなかなか完全には良くならなかったのは剛性コントロールを取り入れていたからだ。

シングルストロークにこだわる

剛性コントロールをスティックワークの練習に取り入れると、複雑なスティックワークは一切出来なかった。

剛性コントロールというと手とスティックの接地面を変えるだけのことと思うかもしれないが、実際には体の使い方や呼吸法、フットワークまで考慮して総合的なアプローチをしないと曲中の音には反映されなかった。

スティックワークの難易度が異常に上がり自分のシングルストロークに全く満足がいかなくなる。シングルストロークがこんなに難しいのかと絶望した程だ。

ダブルストロークやパラディドルの練習はほとんどやっていなかった。そんな難しいことに多くの時間を割くことは出来ない。

ひたすらに実戦で使うテンポのシングルストロークの練習をした。プライベートスタジオなので常にドラムセットで練習は出来るが、数時間も続けて練習していると耳が疲れてしまう。

そのため、耳を休めるために練習パッドでの練習も取り入れていた。その練習台でのスティックワークの割合はシングルストロークが9割以上を占めていたと思う。

ダブルストロークは少し練習したが、パラディドルはほとんどやっていない。(ゴースト・ノートは当然使うので、左手はパラディドルの動作をやっていると言えなくもない。)

小さめの音で曲をかけて練習台をドラムセットに見立てて練習することが多かった。つまり、やってることはドラムセットでプレイする時と同じ、ということになる。

練習台の方が剛性コントロールが出来ているか分かりやすく、その確認のためにもちょうど良かった。

とにかく、ただひたすらシングルストロークでの剛性コントロールやダイナミクスコントロールを練習した。

体の痛みより音楽表現優先

高剛性を取り入れた時には体の痛みが再発したことも良くあった。しかし、原因は剛性を取り入れたことであるのは明らかなので、あまり気にしないようにした。

体が楽であることが正しいドラムだと思ってしまうと、ある一定以上の表現力は望めない。体が楽な範囲の表現しか出来ないからである。趣味で楽しむ分にはこれで問題ない。

しかし、結果を求めるなら体が痛くなろうが何だろうが、表現力、音色を第一に考えるべきである。

仕事を取るためにはそれが絶対条件であった。そうしないとアメリカのドラマーには到底叶わなかった。なぜなら、程度の差はあれど彼らも自然と剛性コントロールを使っていたからだ。

体が多少痛くなろうとも表現力を第一に考え、剛性の練習を続けた。

表現と痛みを天秤にかける

もちろん、体がどのくらい痛くなるのかの程度にもよる。完全に体が壊れてしまったらドラム自体できなくなるので、体への負担と表現力を天秤にかけて、どっちを優先するべきかを決める必要がある。

当時の私は、ある程度は体の負担を分散させたり軽減させることは出来たので、体の痛みは無視して表現力を重視した。

低剛性から高剛性まで、ある程度まともに使えるようになるのに数年かかったと思う。体が痛くならずに使いこなせるようになるにはさらに年月が必要だった。

しかし、それだけ価値のあるものであったのは間違いなかった。回りのミュージシャン仲間の反応は劇的に変わった。

仕事がもらえるようになる

ポケット+ダイナミクス+音色

私がローカルで仕事をゲットするために重要なことは主にこの3つだった。

ドラム単体での単純なミスはポケットから外れやすくなるので当然論外だ。ドラムの歌い方や呼吸法はこの3つ全てと密接に関係しているので、どのように息を吐くのか、歌うかはとても重要になる。

また、体の使い方はダイナミクスや音色に直結するし、剛性コントロールもこれら3つとも大きく関わっている。そして、ポケットとダイナミクス、音色がグルーブを作り出していると言っても過言ではない。

当たり前の話だが、これら3つともにアンサンブルの中で生まれるものであり、ドラム単体で生まれるものではない。

そして、手足のコンビネーションや高速連打などの高度なテクニックはこの3つのどれともあまり関係が無い。というか、これらの高度なテクニックはポケットから外れやすくなるし、ダイナミクスを付けるのは難しいし、音色のコントロールも非常に難しい。

ゴスペル系のドラムを完全にコピーしたのに黒人のドラムと全然違うなーと感じるドラマーも多いと思うが、これはダイナミクスや音色のコントロールが全くコピー出来ていないからだ。

正直あの手のドラムはかなり難しいので、プロを目指しているならばあんまり憧れない方が良いと思う。だから当時の私もゴスペル系への憧れは多分にあったものの、一切封印した。

周りから認められていく

周りから褒められるためのドラムを追求して必死に練習することで、少しずつ認められるようになり、連絡先も聞かれるようになった。

以前に比べればかなり成長しており、その成長度合いも加味してくれたようで、少しずつ小さいながらも仕事の連絡も来るようになった。

アメリカのミュージシャンは結果重視でドライとは言ったが、成長度合いや努力はちゃんと評価してくれる。最初の頃に比べたら、アメイジングだと言ってもらえた。最初が酷すぎただけではあるが、それでも成長していることには間違いない。

ギグも増えていく

こうして少しずつギグも増えていった。ギグの場合には、当時、大抵2部制か3部制で、合計では3時間程度プレイすることになる。

ジャムセッションと違って代わりのドラマーはいないので全て自分が演奏することになる。
正直、体の痛みの問題を抱えたままアメリカに来ていたら、すぐにプレイが出来なくなって日本に帰国することになっていたであろう。

何も気にせずにドラムが出来るようになったことには本当に感謝しか無かった。

ドラマーとしてはまだまだなレベルではあるが、何とか仕事がもらえるレベルにはなれたのには大きな達成感を感じた。アメリカに来て3年~4年経ってからのことであった。

客の反応が正直

ギグとジャムでは環境が全く異なる。ジャムの場合、客の多くは演奏するために集まったミュージシャンだ。

みんなとりあえず演奏は聴いてくれるし、以前の私のようにあまりにも下手でなければ基本的には和やかムードだ。

しかし、ギグの場合は違う。大抵の場合、クラブやバーがバンドを呼んでいるが、そこの客はバンド目当てで来ているわけではない。

ただ、フラッと入って酒を飲んでいるかそのバーの常連が大半だ。そのため、演奏が始まってもガン無視で大声で話をしている。拍手も当然無い。

どういう訳かLAの人はかなり耳が良い。良い演奏、ちょっとダメな演奏、すごく良い演奏、全てある程度聴き分けていたように思う。

そのため、演奏が良いと次第に客は話をやめて演奏を聴くようになる。曲が終われば拍手もしてくれる。

そのうち、客が踊りだす。いつの間にかバンドを中心にクラブやバーの雰囲気が作られていく。

とまあ、上手く行けばこうなるのだが、ダメな時は完全に無視されたまま終わることもある。

お客の反応はかなり正直なので怖いなと思う反面、良い演奏をすれば称賛も凄いのでやりがいも大きかった。

仕事の数が違うアメリカ

本場のアメリカで仕事をするなんて凄いと思うかもしれないが、実は日本よりかなり仕事は取りやすい。それは日本とアメリカでは仕事の量が絶対的に違うからである。

日本では1万円~3万円くらいのギャラが出るバーやカフェ、クラブでのライブはかなり少ないのではないだろうか。

アメリカでもDJの出現により年々、ミュージシャンの仕事は減っていた。それでも、生の音楽を聴くという習慣は根強く、日本に比べたら数十倍くらいの仕事があった。

チップの習慣

アメリカではチップという習慣が根付いている。レストランでは飲食代の他に15%~20%程度のチップ代が必要になる。

音楽でも当然チップはある。これが非常に大きい。良い演奏をすれば100ドル札をチップBOXに突っ込む客もいた。

お客が曲のリクエストに10ドル20ドル払うことも良くある。休憩時間には酒も奢ってくれるし、とにかく皆酒を飲んでいるからか気前が良い。

そのため、クラブやバーからギャラがあまり出なくても演奏許可をもらえるだけで十分仕事になることもあるのだ。

このチップ制度によってアメリカのローカルエンターテイメントが高いレベルを維持していると言っても過言ではない。

週末は稼ぎ時

特に金曜の夜~日曜の夕方にかけては仕事は山のように転がっていた。そのため、週末はミュージシャンの需要が一気に増える。

どんな上手い人間でも1つの現場にしか行けないのだから、当然、色々なミュージシャンにチャンスが回ってくるのだ。

そのため、昼間は普通に働いて夜や週末だけギグで仕事をするセミプロが多数いた。そんな訳で、自分も仕事にありつけたのはありがたかった。

そして、一旦仕事にありつければ、そこからミュージシャンの輪が広がっていくので、少しずつもらえる仕事も増えていった。

セッションホストになる

ジャムセッションで客として参加する立場だったが、その後セッションホストにもなった。

セッションホストは自分がそのジャムセッションの顔になる。セッションホストのレベルによって集まるミュージシャンも変わるので責任重大である。

ホストは自分のドラムセットを現場にセットして、それをみんなで使うことになるのだが、人によってセッティングに個性があり面白い。

ただ、ジャムセッションの場合にはあまり時間がないので、大きくセッティングを変えることは稀だ。なので、自分のドラムセットで自分のセッティングが基本になっているのでプレイしやすかった点は大きな利点だ。

セッション全体の成功

ホストになると全体のジャムセッションの成功が重要になる。自分だけが良いプレイをすればいいという訳ではない。

毎週やっているので、来るミュージシャンは顔見知りになることも多い。なので、このギタリストはあの人と合いそうだから次入ってもらおうとか色々考えるようになる。

今までは自分がプレイするだけで必死だったが、ホストになったことでセッションを通してのショー全体の音にもっと気を配るようになった。

バンドの音がより理解出来る

セッションを繰り返すことで、ドラムだけでなくギターやベーシストなど他楽器のプレイヤーの癖やレベルもある程度分かるようになってきた。

そして、それらの人が合わさった時に全体の音がどうなるかもある程度予想出来るようになった。

その予想の元、どのミュージシャンをどこに振り分けるかを考えた。自分の予想通りにいってジャムセッションが盛況で幕を閉じれば、とてもうれしかったのを覚えている。

セッションホストになったことで、ドラムだけでなく、よりミュージシャンとしての感覚が養われたと思う。この頃までがドラムと音楽にひたむきで一番充実していた。

ビザの問題で行き詰まる

ドラムで仕事はもらえるようになってきたものの、ここからワーキングビザに繋げることが非常に困難だった。
仕事といってもワーキングビザを必要としないレベルのものしか出来ない。

大きな仕事には必ずワーキングビザが必要だ。アメリカには働けるビザにはOビザやH1ビザなど、様々なビザがあった。

Oビザというのは主に芸術関係のビザであり、ミュージシャンとしてビザを申請する場合にはOビザで申請することになる。

ドラマーのTAKAさんにも相談したがOビザはかなり厳しいとのことだった。
彼自身もまずはアメリカで別のビザで就職して、その企業のサポートで永住権まで手にしたと言っていた。

私の周りでもOビザの更新が出来ず行き詰まっている人が何人かいた。

このまま、ローカルでドラムをやっていても、大きな仕事に繋がることは無い。
何とかして働けるビザを取らないといけない。そう考えていた。

ドラムショップをやる

そんな時にTAKAさんからドラムショップでもやってみないか、という話になった。

アメリカでドラムを仕入れて日本に輸出するドラムショップである。経営モデルとしても問題なく、うまく軌道にのればワーキングビザも取れる、ということであった。

TAKAさんがオーナーとなり、ドラム入荷のための資金は全て彼が用意してくれた。

私に金銭的なリスクは無かったので、二つ返事でドラムショップをやることになった。
名前をusadrumshopにした。周りには名前が単純すぎるだろうと笑われた。

ショッピングカートを搭載したWEBサイト作りやドラムの仕入れやメンテナンス、日本でのドラムの保管や発送代行業者との契約など、慣れない仕事に試行錯誤しながらの運営であった。

ビンテージドラムに詳しくなる

うちのドラムショップでは主にアメリカのビンテージドラムを取り扱った。

理由としては仕入れがしやすかったからである。

60年代~70年代のludwigのスープラフォニックやアクロライト、60年代のパイオニア、ジャズフェスティバル、グレッチのビンテージやスリンガーランド、rogersなどを主に仕入れた。

ビンテージドラムは音が素晴らしいものが多く、大変勉強になった。また、DWのドラムも地元のため入手しやすかったので、よく仕入れていた。

オリジナルか分からなくて四苦八苦

ショップとしてやる以上、ビンテージドラムのどのパーツがオリジナルかを把握しなければいけない。

始めの頃はオリジナルかどうかの判別がなかなかつかなかった。
とくにロッドやフープは交換されていることも多いため、オリジナルの判別に苦労した。

家の近くにプロドラムショップという修理もやっているビンテージドラムショップがあったので、色々と相談にのってもらった。

そして、仕入れも多くなるうちにオリジナルの判別も付くようになり、また、それぞれのビンテージドラムの特性などもある程度分かるようになっていった。

ドラムの活動に制限が出る

ドラムショップのやり始めは順調であった。ドラムが多数売りに出されていて入荷に困らなかったからだ。

当時のドラムの入荷方法は主に地元での掲示版を使ってのものだった。ドラムセットは発送が大変なので引き取り限定で掲示版で売る人が多かったのだ。

ebayも使ったが、こちらはオークションなので大きな利益は見込めない。やはり勝負は掲示版での取引であった。

当然、利益の出るような取引は他のライバルもいるので競争率が高く掲示版に掲載されてからすぐに売れてしまう。

逐一、掲示版をチェックし、すぐにいつでも現地に駆けつける準備をしなければいけなかった。

仕入れのために、上はラスベガス、下はサンディエゴまで範囲を広げて駆け回った。

仕入れ優先にすることで音楽活動には支障が出てしまい、セッションホストも辞めた。しかし、労働ビザが取れれば未来は明るいと思い頑張った。

ドラムショップに限界を感じる

始めは順調だったドラムショップも次第に行き詰まることになる。

アメリカの景気が回復してくるとビンテージドラムが市場にあまり出回らなくなってきたのだ。

掲示版に出ている中古ドラムは、高値で出しておいて売れるのを待つスタイルが目立つようになった。

そして、円高から円安になっていくことで、売上も下がる。このままでは売上を右肩上がりにあげていくことは厳しいと感じるようになった。

ビザを取得するには安定した売上、そして利益を上げ続けることが必要だ。

しかし、ビンテージドラムや中古ドラムを主に扱う当ショップは仕入れが不安定であり、先行きが非常に不透明であった。

このままドラムショップでやっていって本当にビザ取得までいけるのだろうか。かなり厳しいだろうと実感した。

ドラムに対する情熱が下がる

ドラムの活動を制限してドラムショップをやっていたが、少しずつドラムへのモチベーションが下がっていた。

以前は毎日数時間は必ず練習していたが、この頃には1週間に2~3回、ドラムのメンテナンスのついでに少し練習する程度になっていた。

練習する時間が無い程に多忙だった訳では無い。アメリカに来た頃の情熱さえあれば、練習も出来たし、ギグの活動も十分に出来たはずだった。

TAKAさんは懐の深い人だったので、資金を提供するだけでドラムショップの運営には一切口出ししなかった。恐らく、私がドラムの練習をして、時にはギグの活動を優先しても特に問題は無かったと思う。

自分のやりたいことが分からなくなる

しかし、私は行動しなかった。この頃に「自分の本当にやりたいことは何だっただろうか?」という疑問が芽生えていた。

ドラムに対する情熱が少しずつ下がってきており、ビザのためにドラムショップを頑張ろうというモチベーションが無くなってきていたのだ。

そして、それで不貞腐れるように音楽活動自体もほとんどやらなくなっていった。正直、少し病んでいたのかもしれない。

当時、使っていた自分のメインの連絡先であるヤフーメールがある時、いきなり使えなくなった。

パスワードの再設定が必要なのだが、生年月日を適当に入力していたため、再設定が出来ずメールが復旧出来なくなったのだ。

すぐに別のメールアドレスを取得したが、今まで連絡を取っていた日本の人たちにメールアドレスが変わったことは伝えなかった。近況を聞かれるのが怖かったからだ。

また、この頃になるとギグの誘いがあっても断るようになっていた。もうすでにドラムに集中出来るような心理状態ではなかったので仕事としてドラムを叩く気力が無くなっていたからだ。

これらの行動を見ても、健全な精神状態では無かったように思う。

日本に帰ることを決意

この頃には学生ビザは切れており、I20という学生用の在留資格のみでアメリカに滞在していた。

このI20があればアメリカに合法的に滞在は可能だが、ビザ自体は切れているので日本への一時帰国が出来ない。

日本で何があっても労働ビザを取る目処が立つまではアメリカに留まるという強い覚悟が必要であった。

訃報が帰るキッカケに

ちょうどこの頃、親類が立て続けに亡くなった。親は私が帰れないことを知っていたので、私には訃報をすぐには知らせなかった。

この出来事により、もしも親兄弟に何かあった時に自分はアメリカに留まれるのだろうか、と考えた。

私の実家は田舎なので、世間の目を考慮すると多大な親不孝をすることになる。
そこまでの覚悟が自分にあるのか。そこまでしてビザも取れずに結局日本に帰ることになったら・・・

色々と考えた結果、アメリカでこのままドラムをやろうという情熱は無かった。

やる気さえあれば・・・

正直、やる気さえあれば何とでもなった。父や母は持病が無かったし、すぐにどうこうなる可能性は非常に低かった。

ドラムショップだけで厳しいなら、ギターやベース、アンプやスピーカーを含めた音響システムなど、別のものも仕入れれば良いだけだし、とりあえず頑張ってOビザを取るという手もあったのだ。

学生ビザも延長は難しいが、ちゃんと学校には通っていたし、しっかり申請すれば延長も不可能では無かった。

実際に当時、音楽をやるために学生として日本から留学してきた仲間は、その後ワーキングビザを取り今もアメリカでミュージシャンとして活躍している人も多い。

正直私は疲れていたのだろう。私の音楽への熱い情熱はいつのまにか無くなっていた。この時、私は日本へ帰国することを決めた。

目標設定を誤る

なぜこうなったのかは明らかだ。私の目標設定が間違っていたのだ。

私はローカルで仕事を取れるドラマーになることを目標にしていた。これが良くなかった。目標として小さすぎたのだ。

本来ならば、リー・リトナーと一緒にプレイしたい、エリック・クラプトンのバックドラマーになる!のように他人には笑われるくらいの大きな目標を立てるべきだった。

期限を設ける

そして、そこから小さい目標を逆算して考えて、期限を設けるべきだった。

1年以内にローカルで仕事を取れるドラマーになる、2年以内にワーキングビザが必要な大きな仕事の打診をされる。

3年以内にワーキングビザの目処をつけ、大きな仕事を成功させる。5年以内に一流ミュージシャンとギグをする、10年以内にリー・リトナーと~、といった具合だ。

期限があることで焦りも出るし、真剣にもなる。最終的な大きな目標が達成できるかは別にしても、それに近づける可能性はこちらの方が高いし、目標は途中で修正しても良い。

私は小さな目標を期限も設けずにダラダラと目指したため、達成した頃にはビザの問題が出てきて、そのまま燃え尽きてしまったのだ。

甘えが出る

結局、漠然と小さな目標だけ持っていると自分に甘えが出てしまう。

今まで書いたことだけ見ると、さもドラムだけに打ち込んだように思うが、実際にはそんなことは無い。

普通にテレビやYOUTUBEで暇つぶしをしたし、パーティーにも参加した。

寿司屋やタイフードのレストランに行き、ラスベガスに遊びにも行った。ビザについても真剣に考えず、ずるずる過ごしてしまった。結局、全ての見通しが甘かったのだ。

やれる時にやっておく

鉄は熱いうちに打て!ということわざがある。これは真実だと思う。

とにかく夢中になれる時に精一杯頑張っておくことだ。その情熱は10年20年と続くとは限らない。

学生のうちにドラムに夢中になったら、寝食を忘れて夢中になろう。社会人になるとドラムに集中出来る環境ではなくなるかもしれない。

私もアメリカに渡った始めの1年で死ぬほどドラムに夢中になることが出来れば、こんな結果にはならなかったと思う。

何を捨てるか選択をする

何かを成すには何かを捨てなければいけない。

それが家族との時間かもしれないし、TVを観る時間、ゲームをする時間、友達と遊ぶ時間かもしれない。

社会人になってからは削れる時間が睡眠時間しか無いかもしれない。仕事を変えないといけないかもしれない。

とにかく何かを成すには必ず何かを捨てる必要がある。

プロドラマーになっている人は必ず何かを捨てて、自分の時間をドラムや音楽に捧げたのだと思う。

もしくは音楽に夢中になりすぎて、何かを捨てたという感覚も無いのかもしれない。いずれにしても不断の努力や飽くなき探究心は不可欠だと思う。

私には情熱、探究心や向上心、努力、計画性など全てが足りなかった。

良く遊んだしよく寝た。全く何も捨てきれていなかったのだ。ドラムに対する真剣さが足りなかった。もちろんビザの問題が無ければ、そのままアメリカに留まってドラム活動を続けただろう。

しかし、ビザの問題を何とかクリアして音楽活動をアメリカで続けている人はたくさんいる。なので、ビザのせいでも無いし、ドラムの才能が無かったという言い訳も出来ない。

これは努力ではどうにも出来ないくらい頑張った人だけが使っていい言葉だからだ。

今考えればドラムに関しては後悔しかない。もっと夢中になって頑張れば良かったな、と思っている。あなたにはぜひ後悔のないミュージシャン人生を送って欲しい。

環境が人を作る

環境次第で人は黒にも白にもなる。どこにいても輝く人間も一部いるかもしれないが普通の人間は環境に左右される。

偏差値の高い進学校と普通の高校では前者の方が良い大学に進学出来る可能性は高い。これは周りの環境が違うからである。学校終わりに予備校に通う日常なのか、友人の家でお菓子を食べる日常なのか。

どちらが良いという話ではないが、東大に行きたいなどの明確な目標があるならばどちらを選ぶべきかは明白である。

それと同じで趣味で音楽を楽しみたいなら気の合う仲間と楽しく活動すれば良いが、プロを目指すならそれではいけないのだ。

なので、自分の音楽環境は常に高いものを求めて欲しい。例えば、もし私がアメリカ時代に何かの間違いでリー・リトナーのドラマーに指名されたらめちゃくちゃ上手くなったと思う。

それは環境が変わるからだ。何がなんでもやらなきゃいけないし、自分の憧れの人に失望されたくは無い。大抵の人は高いレベルを求められたらそれに応えられるだけのポテンシャルを持っている。

一時期、ジャムセッションでボロボロになって必死に練習した。が、ジャムセッションでそこそこやれるようになる、というレベルはそこまで高くはない。なので、すぐにクリアしてしまった。

その後も、もっともっと高い環境を常に求め続けるべきだった。もちろん私の場合はビザの関係もあり、それが足かせになっていたのはあるが、それでも貪欲にレベルの高い環境を求めればもっとドラムは伸びたはずだしビザの問題も解決しようともっと努力しただろう。

あなたもドラムに大して本気ならば、とにかく高いレベルと良い環境を常に求めるようにして欲しい。

なかなか実際にバンドで音楽をやれる環境にないというならばYOUTUBEでもよいと思う。目標とするドラマーを決めて、その人を超えるドラマーになるために日々精進して動画を上げる、というだけでもかなり違うはずだ。

日本へ帰国する

そんな訳で完全にやる気をなくしていた訳だが、パスポートの期限切れ間近、日本の運転免許の更新など、色々な条件がちょうど重なって、日本に帰るには良いタイミングだった。

私のアメリカンドリームは現実にはならず、たった7年で終わってしまった。

ドラムショップを閉める

日本に帰国するにあたって、ドラムショップも閉めることになった。
ドラムの仕入れからメンテナンスまで私が担当しており代わりがいなかったからである。

当時は顧客も少しずつ増えており、ドラムの委託入荷やDWへのオーダーメイドの仲介の相談などもあったので、使っていただいていた常連の方には本当に申し訳なく思った。

残りの在庫分は保管と配送を委託していた業者から私が日本で引き取って売ることにした。売り物が残っているのでUSADRUMSHOPのサイトは暫くそのまま運営した。

オーナーのTAKAさんはドラムショップが上手くいかなかったことに対して、何一つ文句を言わなかった。

ドラムを辞める決意をする

そして、私は日本に帰国するにあたって、ドラムを完全に辞めることを決意した。
元々、アメリカで頑張ろうと心に決めていたのに、それを諦めて日本に帰るのだからドラムもすっぱり諦めるべきだと考えていたのだ。

趣味でやろうという気持ちは一切無かった。未練を残したくなかったのだと思う。

自分のドラムセットやスネア、その他の機材も車も全てアメリカで処分してしまった。こうして、私のドラム人生は終わりを告げた。

ドラムを辞めて日本で生活

日本ではドラムを辞めて、屍のような生活をしていた。正直、まっとうな職歴がある訳でもなく30代になっていたので普通の就職は絶望的であった。

アメリカにいた頃からやっていたWEBサイト作成やライターの仕事を何となくしていた。

アメリカでは留学生は働けないので、ネットを通して日本で仕事をして生計を立てていたのだ。それをそのまま日本に帰っても続けた。

ドラムは一切やらなかった。後ろ髪を引かれるのが嫌だったのだと思う。ドラムを再度やり始めたら、アメリカから帰国したことを後悔すると思ったのだ。

そうこうして日本に帰ってから5年以上月日が流れた。

ドラムを再度やり始める

そんな折に、ふとドラムをもう一度趣味でいいからやってみようかなと思うようになった。

アメリカから日本に帰国する時に、ドラムショップのオーナーであるTAKAさんから餞別でスネアを頂いていた。

USADRUMSHOPの売り物の在庫も捌けて、いよいよ残ったのはそのスネアぐらいになった。

さすがに餞別で頂いたスネアは売れなかったので、自宅にそのまま保管してあったのだが、ずっと放っておいたのでメンテナンスしようと思ったのだ。

5年経って、ある程度の整理が自分の中でついていたのだろう。スネアのメンテナンスをして懐かしい気持ちになった。

もう一度ドラムをやってみてもいいのでは?と思った。

自分にはドラムしか無かった

自分のアイデンティティーのほとんどはドラムにあった。20代~30代前半をドラムに捧げていたのだから、そりゃ当たり前ではある。(なんやかんや遊んではいたが。)

それを完全に捨てて日本で過ごしていた。ドラムの話やアメリカの話は一切しなかった。したくなかった。

そのためお世話になったスクールにも何も報告出来なかった。帰国しただけでなくドラムも辞めてしまい、合わせる顔が無いと思ったからだ。

しかし、ドラムを捨てたことで自分は本当に薄っぺらい人間になっていることに気づいた。人に話せることが何も無くなるからだ。

アメリカに行っていたという話になったら「何しに行ったの?」という話になるのは必然だ。だから、アメリカに行っていた話は出来ない。すると完全ニートの出来上がりである。

人は自分が今までやってきたこと、成してきたことで自信を持ち、自分に誇りを持つことが出来る。それが私には全く無いことになるので後ろめたい気持ちになり辛かった。

必死にやってきたことをわざわざ捨てる必要は無いのではないか?5年以上経ってようやくそう思えるようになった。

そして、ドラムを再開することを決意する。

これからドラム頑張るぞ!

すでにアラフォーになっていて、完全に中年である。
ドラムもブランクが大きくて、またやり直しになる部分も多いだろう。

それでも自分がやってきたことを誇りたい。そう思った。

そして、やるからにはまた上を目指して頑張りたい!
プロを目指すとかでは無いが、昔の気持ちを忘れずに自分の理想のドラムを追求しよう!

そう思えるようになった。これから、私の第2のドラム人生が始まるのである。
昔のように思いつめてドラムをやるのではなくて、気楽に楽しみながらドラムをやっていこうと思う。

何歳から始めても良いじゃないか。ブランクが何だ。ボケ防止のためにも一生ドラムをやろう。

諦めてドラムを再度辞めてしまったら本当にオシマイだと思っているので今回はどんな事があっても辞めないと誓っている。

自分の経験からドラムの上達法や機材のこと、体の痛みのケアについてなど、若いドラマーや初心者ドラマーに少しでもタメになれればと思ってこのサイトを作った。

このサイトが少しでも他のドラマーの参考になったり、モチベーションアップに繋がったら、これ以上の喜びは無い。コメントとか貰えたら最高にうれしい。

ここまで赤裸々に自分のことを長々と書いて馬鹿なんじゃないかとも思った。

しかし、同じように体の痛みに悩んだり、プロを目指しているけど行き詰まっている人がいるかもしれない。そういう人の助けに少しでもなれればという思いで赤裸々に書き綴った。

最後まで読んでくれて本当にありがとう。
みんな、ドラム頑張ろう!

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